こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

飲んでなくても、週末の子どもの相手はやっぱり辛いよ

210ヶ月の娘は体力もついてきて、土日ともなると一日中相手をするのも本当に一苦労だ。

酒にもたばこにも逃げられないので、子育て中の親達はずっと子供の相手をしているのだろうか。

飲まない、吸わないとなると、逃げる言い訳はトイレに行くくらいではないかと絶望する。

 

では飲酒、喫煙をしていた頃の私はどうであったかというと、まず子供の相手に度々行き詰まるとたばこを吸いに立っていた。

15:0015:30頃には酒を飲み始めていたので、子供の相手を真剣にしていない。

いつも辛いので、取り立てて週末が辛いということもなかった。

というか、ほとんどの時間をぼーっとテレビを見ていた。

夫がいれば夫が娘の相手をしてくれていたのだろう。

 

一方、ここ最近の土日の過ごし方といえば、

 

7時 夫が子供と起き出す

7時~10時 私が起き出す(私の覚醒はかなり読めない)

それ以降 公園に娘を連れ出す

12時頃 公園から帰ってきて昼ごはん

17時ごろまで 公園か家で何かしら娘の相手

18時前後 晩御飯

19時前後 お風呂

昼寝をしないと20時頃 娘就寝

昼寝をすると22時~23時 娘就寝 それまで娘と遊び

 

とにかく娘の相手は遊びのバリエーションがままごとなどで、大変つまらないのだ。

公園で遊具や砂場を使っている方が本当にマシ。

しかし娘は比較的屋外遊びより室内遊びが好きなのだ。

 

また、家族のお出かけや、同世代の子供と遊びの約束を取り付ければ良いようにも思う。

しかし、私は日頃あらかじめ先のスケジュールを立てるのが苦手だ。
思い立ったときに声をかけて遊べる人と遊びたい。
その日になって面倒臭くなって約束を破るのが怖いのもある。

そのため、いざ暇だなというときには大抵予定を入れられないで、ノープランの一日を過ごす。

 

最近発見したのだが、私も室内遊び好きの子供だった。

娘を見ていると、おままごとのストリーをいくらでも展開させ、道具もないのに、空想でいろんな食材を用意し、しかも楽しそうにそれがしたくて仕方ないという感じで遊んでいるのだ。

 

彼女が楽しんでいるのだから、これは大変素晴らしい状態なのだと思うのだが、子供の発想のあまりのアバンギャルドさに頭の固い33歳はついていけない。大変辛い。

 

そこで感じたのは、大人の基準でわかりやすい絵本や正解がわかる運動などをしているときには、娘が自由にする遊びなどより興味が湧いてしまう。

というより、目的不明でいつ終わるかもわからない見立て遊びに付き合っているより、スポーツに取り組む、文字を覚えるなどの何か成果を期待してしまうことの方が、わかりやすくて楽なのだ。

 

ついつい私も、娘の上記のような大人の基準でルールのわかりやすい遊びに、付き合っているいる時の方が楽だと感じてしまう。

そして、これは極端な例だが、お外遊びが好き、身体を動かすことが好き、文字を書くのが好きなど、より大人が相手をしていて褒めやすいこと、楽しそうに付き合うことができることは、それにはまれる子供も生きやすいのかもしれない。
社会で良いとされることに馴染みやすい子供が、生きやすい子ということになってしまうのではないか。

 

我が家の話に戻すと、娘の社会的にはその評価をしてあげられにくい見立て遊びの才能については、自分が理解できないからという理由で軽んじてしまってはいけないのだなと感じた。

 

なので私は我慢しながら娘の作った ”ガラクタ入り闇鍋” を「おいしいね」と頬張る。