たばこと酒が欠かせなかったころ~ついに酒を辞めた日
私は酒を辞めました。最後にお酒を飲んだ日から、約2ヶ月ほど経とうとしています。
お酒を辞めたということは、もう金輪際アルコールを飲まないということです。
身近では、禁煙についてはよく聞きます。また、酒を控えたいという声は耳にするのですが、実際に断酒をしているという話はあまり聞かないかもしれません。
ただ、今となっては酒もたばこも辞めてしまえば同じこと。吸っていたな、飲んでいたなというくらいです。
私の個人的な感想では、禁煙より断酒の方が辞めた直後、摂取したいという強い衝動は少ないように感じます。
また、たばこは度々吸っていた感覚を思い出すことがあるのですが、酒に関しては味を懐かしむような気持ちもさほど生まれません。
どのようにして辞めたのか、書いていきたいと思います。
酒をやめるきっかけ
たばこの時と同じように、酒をやめるきっかけとなったのも、夫婦喧嘩でした。
幾度も繰り返された喧嘩で徐々に消耗していった夫は、異常に痩せたり、顔面麻痺になったりと、ストレスが身体にまで出ていました。
本当に話さなかったのと、声が聞き取れないほど小さかったのを覚えています。
私の地雷を踏まないよう、息を潜めて生きていたのでしょう。
酒を控えてみたらと夫から度々言われていました。
また、2歳の娘の保育園へのお迎え時に、既に酒を摂取してしまっていることが多かったため、それが悩みになっていました。
私は日中家で仕事をしているのですが、主に一人で黙々と取り組む作業が多いため、15:30すぎくらいになると、酒を飲みだしてしまいます。
それが習慣となっていました。
仕事に煮詰まったり、何かストレスを感じるだけではなく、気分がハイな時にもよく調子に乗って飲み過ぎてしまうのです。
私がハイ状態の時は、特に飲み過ぎる傾向にあり、その後の気分の急降下もひどい、というのは夫からもよく指摘を受けていました。
そのため、一ヶ月に1~2回ほど、18:00頃のお迎え時にベロベロになるということがありました。
そんな時にはお迎えの時間が近づいてくるごとに、不安がこみ上げ、夫や実母、友人など、手当たり次第に電話をかけてしまうのです。
これもハイな状態だからしてしまうのだと思います。
あくまでこの時まではふさぎ込んでいないのです。
そして、だんだんと感じます。
「この酔っ払った状態のひどい母親を、お迎え時に顔を合わせる父兄や先生はどう感じるのだろう」
そんなことを考えると、お迎えにいけないと感じます。
お迎えに行ってやれない情けない自分に、また悲しくなって泣きます。
泣きながらお迎えに行くのはさらに異常なので、誰にも見せることができないとなり、さらに追い詰められます。
泣いていたからって、酔っ払っていたって、お迎えにさっさときてもらった方が園にとっては良いに決まっています。
所詮他人事、私がどうだろうと、誰もそこまで気にしていないのだ、そう思えたらいいのですが。
しかし私は思い詰めるともう足が動きません。
「もうお迎えにいけません」
と夫を度々呼びつけ、時には会社をおそらく早退させて、お迎えに行かせていました。
予定を急に崩すのですから、迷惑な話です。
ついに断酒を決意する
そんな背景を抱えながら、先述どおり、私と夫はまた喧嘩をしていました。
というか、一方的に喧嘩をふっかけたのだと思います。覚えていませんが。
セックス レスなどにも悩んでいた私は、自分が大事にされていないのに、子供のことを大切にすることなんてできない、娘のお世話がしんどくて仕方がない。と思っていました。
そんな話をしながら、度々話題にあがる、離婚について、その日も頭をかすめます。
しかし翌朝、来たるX-DAYです。
険悪なまま夫と娘を見送り、ふと思いつきます。
「そうだ、断酒しよう」
別れる決意は大変だ、断酒の方が簡単なのではないかと思ったのです。
早速あの本を購入
思い立ったら即行動です。
こういったときの行動力は早いほうだと自負しています。
私は断酒するならあのシリーズだ、と目星をつけていた書籍がありました。
『禁酒セラピー』アレン・カー(著)
そう、私が禁煙に成功した際に、大いに感化されたあの名著『禁煙セラピー』を書いた著者の禁酒バージョンです。
電子書籍で購入し、数時間で一気に読みました。
『禁酒セラピー』とは一体どういった内容かというと、『禁煙セラピー』同様、
いかに酒が毒であるか、酒にどれだけ自分の生活を捧げているか、辞めることで得るものは多いが、一体何を失うというのか。
といったシンプルな内容です。
既に『禁煙セラピー』でこのロジックにはまっていた私には、もうするすると入ってくるのです。
しかし、これを読んでいる最中にも、私が酒を飲む人という状態は変わっていません。
たばこの時のように、さぁ、やめよう、となるのか? といぶかしく思っていました。
そして、そうなりました。
最後にパック焼酎を原液でグラスに注ぎ、そのままストレートで一気に飲みました。
ひどくまずく、毒だ、毒だと思いながら飲むことで、本当に二度とこのまずい味を忘れるものかと思いました。
今となっては思い出すことも少ない
その日以来、飲んでいません。
たばこの時以上に、私の中では堅い決意がありました。
泣きながらお迎えにいけないと、もう悩まなくて良いのだな、そう思えることも本当に嬉しく感じました。
しかし、これを継続できるのか、酒を飲まないなら一体何をしたら良いのか、謎の戸惑いがあります。
既成事実をつくろうと、早々に友人にも触れて回りました。
「辞めるなんて意志が強い」と断酒をしたことを讃える声には、いや、いやまだ数日なのでと思いました。
「まだ2~3日でしょ。せめて1週間くらい経ってから、酒やめた宣言してよ。」との疑いの声には、見てろよ、と闘士が湧きました。
飲んでないからって堂々と保育園へ通えるという心境の、私自身の闇については、なんの解決にもなっていませんが、まぁ、堂々とすることは良いことでしょう。
1番感じたのは、夫があきらかに嬉しそうだったことです。
これには複雑な気持ちになりましたが、正面から捉えるように心がけ、嬉しいこととしておこうと思います。
ではまた。