こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

断る勇気

日頃利用しているあるサービスがある。昨日、そのサービスのテレビ取材を受けた。今までにも数回受けたことがあり、いつもそのサービスのありがたさを感じていることからその気持ちをありのまま伝えたいという思いがあり協力している。

しかし、取材が終わっていつも感じるのはとんでもないストレスだ。取材時間もかなり長時間になることもあり、数回協力しているうちに、今度こそは断ろう。もうさすがに取材に来ないだろうと思うのだが。声がかかると二つ返事で受けてしまう。

 

何故ストレスに感じるのかというと、やはり長時間知らない人達と時間を共にするということもある。だいたい取材は自宅で行われるが、なにかと気も使う。

そしてたいてい、私が話したいと思っているそのサービスへの熱い思いを語ると、結構サラッと受け流される。反応が悪い。そして、「もっとこういう内容のことないですかね?」

とまぁ思っていることだがあえて言葉にするとなんかチープだと感じるような内容を語らせたがる。

場合によっては結構触れられたくないようなことも聞いてくる。別に話してもよいのだが、家庭のことについてや自分が子育てをするうえでの困っている話など、どこか型にはめられていくようで気持ちが悪い。またどこか型にはまって話を合わせてしまう自分がいてまた気持ちが悪い。

 

昨日は本当に疲れ、取材が終わってひとりになり、何故か涙が溢れてきた。

疲れていたのか、ただのストレス発散なのか。取材を受けている間に溜まってしまった仕事への焦りか。

家庭や日頃の私の生活に深く関わる内容なので、さらけ出したことへの後悔なのか。

 

断れないことは他にもある。友達との約束はその代表的なものだ。断れないというか、誘われたら断らないのだ。

そのせいで私はほとんど自分優先のスケジュールがなくなると感じる。

しかし、負担だと感じたり、難しい要求にはやはり断らなければいけないのだと思う。

嫌ならはじめから爽やかに断っておいたほうが誠意があるように感じる。

私は断ったときにどこか気まずい気持ちになってしまったり、相手から嫌われないかということを過剰に気にしている。私は断らないことで私なりに良い格好をしているのだけど、それで自分がこっそり嫌な気持ちを抱えているというのは相手に対しても不誠実にも感じる。

無意識にこのような行動をとるようになってしまったのにはきっかけがある。

 

小・中学生のころ、度々同級生数人から「こひがしって言い方がきつい」「こひがし嫌い」と面と向かって言われたことがある。それも一度仲良くなってしばらくしてから思いがけず放たれる言葉だ。こうした際には私も思い当たることがある。確かに私には、自分がこうと思うと、友人であろうが関わりなく、思っていることを通そうとする傾向があった。これには良い面もあるのだが、例えば学校行事などで、熱い思いを持って仕切るために、普段中の良い友人にも「きちんとやってくれ」という旨を容赦無く指示する。いかんせん伝え方が悪かったのだと思う。

小さいながらにこのままではいかんなと考え、柔和で、適度にいい加減な部分も身につけようと考えた。

このように矯正した性格が特に友人の前では板についてしまい、元の主張する性格がなりをひそめた。しかしここ数年は、子育てや仕事の不全感から、本来の自分の一方的な思いを押し通そうとする性質が出ているなと感じるところもある。

いずれにしろ極端なのだろう。

 

 

やはり自分の感情に正直でいること、嫌だと思った時には断れることは大切だと思う。私の場合、嫌だな、ストレスだなと思うことが発露を失い鬱積していると、これを夫に出してしまうという間違った対処をしてしまうことがある。

なので、適切な相手に断ることで、夫への理不尽な八つ当たりがなくなる。さらに爽やかに断ることができる私を見て育つ娘に、嫌だと思ったら断って良いという教育をすることができるのだ。頑張ろう。