夫婦共通の趣味がなければ、"お金儲け"としておけば間違いない
私は、夫婦には共通の趣味や夢みたいなものが必要だと思っている。
他人が生活をともにするのだから、それは意味のある行為だと思えなければ辛い。
例えば、価値観の合わないことが出てきたとしても、我慢したり、理解しようとしたりするのは、そうすることが自分のメリットになると感じるからだ。
そのメリットが何かというと、「やりたくて仕方がない趣味」もしくは「切実な夢」を共有できる仲間(夫)と良い関係を築いて、より良い思いをしたいということだと思う。
なぜこれがひとりでするのではダメなのかというと、ダメではない。
ただ、没頭したい趣味はたまに人と共有すると、世界がまた広がる。ものによっては新しい知識やサポートから、上達したりもする。
志す夢みたいなものがあるなら、ふたりであればマンパワーが単純に2倍だ。
一人よりふたり、メンバーが多い方が心強いし、実際目指すものへの上達スピードや、到達スピードが上がることも多いと思う。
私は自分自身が無趣味で、興味がある事といえば、映画鑑賞や読書など、一人で取り組める趣味がほとんどだ。
しかしここ最近、お金持ちになるためにはどうしたら良いか、ということをずっと考えている。
目下の興味は、FX、ビットコイン、不動産投資など、お金を産む資産を持つこと。
そのためには何から始めるか、という学びに時間をかけている。
これを夫にも勧めている。興味深い本を見つけると、読むように促す。
例えば、「金持ち父さん~」ロバート・キヨサキ(著)シリーズなどは、今更ながら大変はまって読んでおり、夫にも勧めている。
私の言葉だと乗ってくれない夫も、実際のお金持ちの言葉として勧められる投資方法については、興味を持ち、勉強してみようと思えるようだ。
FXはすでに夫もデモ講座を開設し、こちらに熱心に取り組んでいる。
私もFXに関してはまだ実際に投資をはじめてはおらず、デモ口座(模擬トレード口座)で練習している段階だ。
これは夫も真剣に取り組もうと考えており、FXに関する元手を、残業代や、ボーナスなどの臨時収入から捻出しようと提案してくれた。
また、新型コロナウイルスの流行により、経済が変化していることに関するニュースについても、お互い情報交換する。
不動産や、ビットコインなどは、この状況で様々な動きを見せていると思うが、これまでそのような経済の話を、夫が自ら自分ごととして語ることはなかった。
しかし、ここ最近は違っている。
何かがチャンスだ、みたいな話が持ち上がると、この機会に勉強してみようと、前向きな姿勢だ。
多くの働く大人たちにとって、新型コロナウイルスの流行が、自分の働き方を考えるきっかけになっているからなのかもしれない。
必死に夫と共有できる趣味を探そうとしていた私だったが、本当に熱量を持って共有したいと感じる事柄というのは、必死で探すようなことではないなと感じる。
一番身近な興味の対象が実はお金だ。
これは興味がない人など本当にはいないと思う。それどころか、みんな興味津々だと思う。
これを正直に、語り合えばいいだけだったのだ。
時には喧嘩をするほどに白熱できる話題にすらなると思う。
話は変わるが、夫の仕事に対する姿勢について、私は度々疑問に感じることがあった。
疑問というのは、夫が家庭より仕事を優先させているということだ。
これは仕方のないことなのだけど、例えば、残業して家族と晩御飯を食べられないような仕事のあり方を優先することは、仕方のないことなのだろうか。
しばしば、夫の仕事についての姿勢は、必死に効率化を測ったり、勤勉さを貫いたり、常人ならぬパフォーマンスを常にキープしているなという印象があった。
これはすごいことだ。こんなに必死に頑張っている夫が、社会でいうところの成功者になれないのは不思議な話だ。
それなら何かやり方が間違っているのではないかと思う。
それを検証せずに、毎日ただ会社の言いなりに無心で従っているような夫の精神を心配にすら感じていた。
おそらく、それが社会の当たり前だからやっていると思う。
そして、家族に充てる時間を何より優先して仕事に充てているという事は、何より優先して会社のメリットを考え生きているという事だ。
夫が今現在働いている会社での仕事が、人生をかけて行う使命だと感じているなら、命を賭して仕事にかけるのも仕方のない事だと思う。
それが夫のあらゆる生きがいを検討した上での選択なら尊重せざるを得ない。
または、パッションに導かれてそれがしたくてしたくて仕方がないのかもしれない。
しかし、おそらく多くの人が、それをしなければ決まった給料をもらうことができないからそうしている、そうしなければいけないと思い込んで素直に従っているだけなのではないかと思う。
しかし、そのエネルギーと勤勉さを、そのまま家計に向けたら良いのにと思う。
サラリーマンとして会社で稼ぐ給料は、だいたい決まっている。
また、一定基準でしか増えない。
だからそれはそれとして一定額を稼ぎ、持ち帰ってもっと増やす方法を考える方にエネルギーを注いで欲しいのだ。
もしくは、会社での仕事で得る給料は、よっぽどのことがない限り、がっつり減額されることもないのだから、割り切って定時まで働き、自分の時間を捻出することを考えたら良いのではないか。
これを夫が、お金儲けの話をするようになってからは少し考えてくれるようになったように思う。
会社の仕事でいかに年収を増やすかということを話し合うのは非常に辛い。
「お金を増やす=自分の労働パフォーマンスを上げるorもっと時間を充てる」なのだ。
一方、ただお金を増やすということを勤労関係なく語る事は大変楽しい。
そりゃそうだろう。
お金が増える話をするだけなら本当は誰だって楽しい。
ぜひ意識してやってみるべきだ。
将来、娘が図太く生きられるように、2歳の娘の嫌われる権利を守りたい
昨晩、娘がなかなか寝ないのを夫が少し厳しく寝る時間だと言い聞かせていた。
昨日はお昼寝もせず、早く寝るかと思っていたが、20時過ぎまで粘っていた娘。
録画していたテレビを見せて寝落ちさせようとしたのだが、なかなか寝落ちせず「別のがみたい」「遊びたい」などと目が冴えていく様子だ。
そこで夫は、幾度か、「これを見ないなら本を読んで寝よう」など、これは寝る導入なのだということを言い聞かせていた。
しかし娘は眠たいのもあり、夫に言われていることを理解してはいるようだが、ややふざけている様子だった。
そこで夫が少し厳しい態度に移行しはじめる。
娘はこれには敏感に反応し、悔しそうに泣きはじめ、抗議する。
しばらく泣いたあと、娘は結局そのまま疲れて寝てしまった。
私は娘と自分を重ね合わせ、なんだか可哀想になって泣けてきた。
私の思い込みなのだが、私にとって夫はいつも正しい側の人間のように思う。
私や娘は頑固だし、何かしたいことがあるとそこから切り替えるのが難しくなる。
睡眠のリズムや生活のリズムに関してもいわゆる「早寝早起き」などのように、規則正しく行動するのは苦手だ。
大人しく素直なタイプでもなさそうだ。
一方、サラリーマンとして規則正しい毎日をルール通りに上手に生きている夫は、穏やかなタイプだし、素直な性格に思う。
そんな夫に、もう寝なさいと、正しそうなことを厳しく言い聞かせられたら、娘は辛いだろうと思った。
もともと娘の夜寝ない問題は私を悩ませてはいた。
夜寝てくれないと、親は疲れる。
また、夜22時〜23時ごろまで寝ない娘は、大きくなっても夜更かしで朝が苦手なちょっと社会生活がしにくい人間に育ってしまうのではないかという危惧もあった。
そういう妄想がまた親を悩ませる。
しかし、私はここ最近、娘が寝なくて辛い問題については、やや開き直りムードであった。
だから、昨晩もそこまでイライラとはしなかった。
同様に、その他しつけに関しても、できるだけ叱ってしつける、言い聞かせるような上から何かを押し付ける形では行いたくないと思っていた。
また単純に現在、しつけの効果が出ていると思えなかった。
それどころかしつけがマイナス面に効いてしまっているように思う。
例えば、「ジュースは飲みすぎてはダメ」「アンパンのテレビは見過ぎてはダメ」と自分の中にある価値観をもとに、ある一定のところでは娘のしたいことを制限してきたと思う。
こうすることで、2歳の娘はジュースが飲みたい時、アンパンを見たい時、小声で私の顔色を伺うように、悪いことをこそこそ伝えるように申し出てくる。
これはされるとものすごく胸が痛む。
子供は図太くわがままを言いまくって良いものだ。
ここまで育ててくる中で、私は幾度も自分が周りの目や価値観に合わせる形で、娘の個性を矯正するようなことをしてきたと自覚している。
しかし、本来なら私が変な親だと思われようが、娘が可愛くないわがままな子だと思われようが、娘のありのままを貫き通せるよう、世間の目から守ってやるのが親だと思う。
娘が周りから嫌われる行動を堂々と取る権利を守るという感じだろうか。
それが、たった2年の間にも娘のありのままの個性をだいぶ損なってしまったなと思う。
私は娘が生まれる前、我が子は絶世の美女か、天才児か、あるいはそのような力を後天的に親が身につけさせてやることができるまっさらな命の塊か、その辺りのものが生まれてくると思っていた。
しかし、生まれてきた娘を見て、接して、感じた感想は「意外と普通だな」という感じだった。
見た目もまぁ普通だし、とりたてて天才児の片鱗もない。
また、それとは別のイメージで、私は、娘の性格は私ではなく、なぜか夫の性格で生まれてくると思っていた。
私が夫に対して感じる、便利だとか、おとなしい性格だとか、とにかく親にとって都合の良い、夫にそっくりな子供が、夫2号として生まれ、私を支えてくれるのだろうと思い込んでいた。
すると、驚くほどわたしにそっくりな子供が産まれてきた。
こうなると、頑固な部分や、育てにくい所はしっかり目につく。
そこで感じた。
ああ、親が性格を作ることなどできないのだと。
私は娘が私にそっくりなので、私がこう生きられたら幸せなのだろうな、と感じる生き方をして欲しいと思ってしまう。
私は、子供が今後できるだけ努力しなくても、自分のありのままの能力や興味の赴くままに生きてほしいと思っている。
そうあるために、しつけより大切なことがあると感じ始めた。
例えば、日本人は真面目で大人しく、素直な性格の人が、一般的に重宝されるサラリーマンとしてのスタンダードを歩めると思う。
しかし、娘はそのタイプの生きやすい扱いやすい人間ではないような気がする。
こうなると、何も考えずに世間のスタンダード教育に触れさせ、周りと同じように、素直教育を受けていたのでは、自分に劣等感を持つだけだろうと思う。
娘には、やりたいことや、嫌なこと、苦手なことをはっきり自覚させたまま、生涯にわたって自分らしく生きて欲しいと思う。
そのためには、例えば、自分に合わない職業選択をスタンダードにならってすることは得策ではない。
または、やりたいことと、お金を得ることを切り離して考えられるような環境を整えたいと思ったりもする。
さらに、例えば日本語しか話せないことで、真面目教育から外れる人の可能性が狭まってしまうのなら、日本に囚われないために英語教育はぜひ行いたいと考えている。
そんなことをいろいろ考えながら、子供がしたいことに取り組んでいる時には、いつでも全力で応援し、見守ることができるかを極論で考えてみる。
私が思い描く我が子のあって欲しい姿とは、ここまでの述べたように個性全開なイメージだ。
そうなると、例えば、演劇をやりだしたりして、売れない劇団員みたいなことを、図太くやり抜く人生を選んだりしたらどうだろう。
これは夫が私に「娘がそうなったらどうするの?」と聞いてきたのだ。
そこで私はちょっと考えて、それが好ましいか好ましくないかには、私の好みが入ってしまうのだが、
それこそこの子育ての成功なのかもしれないなと思った。
在宅や時差勤務を受けて、自然と家庭に関わる時間が増えた夫に対し、仕事への理解も示せる
夫の仕事が忙しそうで、ふと娘が生まれたばかりの頃の、夫の働き方のことを思い出した。
昨晩私が目を覚ますと、おそらく深夜0時ごろだったと思うのだが、夫が仕事をしている様子だった。
在宅になると、仕事時間が逆に増えすぎてしまう気持ちが良くわかる。
私も、仕事時間の総量はそこまで多い方ではないのだが、就業時間が決まっているわけではないので、夜中にゴソゴソと書き物をしてしまったりする。
以前の私だったら、確実に深夜に仕事を持ち帰って行う夫の方にだけ小言の一つも言っていたと思う。
娘が生まれたばかりのころ、夫が勤めていた会社は、帰りが早くても21時ごろで、遅いと終電にギリギリ乗って25時近くに帰ってくることもあった。
乳幼児は21時には起きていないので、私は娘のミルク、お風呂、自分の食事、寝かしつけを夕方から20時ごろまでの間、一人で行うのが苦痛だった。
それがきっかけで喧嘩をしたことが何度もある。
夫の会社携帯が家で鳴る事に腹を立て、折って壊したこともある。
夫が深夜まで帰宅せず、電話も繋がらないので会社に電話したことがある。
0時すぎ、夫の上司が会社の電話に出て、私が「うちの夫はまだいますか!?」と尋ねると、
私の気迫に圧倒された様子の上司が、申し訳なさそうに、
「さ、先ほど会社を出られましたよ」
と言った。
その様子に、悪いと思う気持ちがあるなら、残業代を出せ、会社のリソース不足をなんとかしろと、その上司に腹が立って来た。
そこで、その上司から年末に届いた、家族写真のプリントされた年賀状をハサミで切り刻み、封筒に入れ、ポストに投函する寸前で思いとどまった。
流石にこれは犯罪だ。
受け取る家族に罪はない。
これを受けて夫は、残業せずに、家に仕事を持ち帰るという手段に出た。
いや、21時に帰ってこられて、もう人手は必要ないし、家で仕事をされるのも腹立たしい。
家に持ち帰るのだから、会社側としては残業させているという認識にもならなくなる。
それはやめてくれとまた喧嘩になった。
そして、現在はどうかというと、夫は18:30の娘のお迎えには必ず行ってくれる。
ここ2日ほどは在宅で仕事をしている。
呼び鈴がなれば、夫が出て対応してくれ、
ちょっとした用事は仕事の合間に行ってくれる。
こうして私の不満はかなり軽減されることになった。
昨日も、深夜まで仕事をしていようが、娘のお迎えから夕飯、お風呂に寝かしつけのルーティンを共に協力して行ってくれるのであれば、その後寝た後に仕事をしていようがテレビを見ようが、好きにしていただいて結構だ。
ありがたい話だ。
ここまで私の心境が変わって気がついたのだが、
やはり人それぞれ家族の状況や自分の健康状態など、ライフスタイルは刻々と変化するもの。
その中で、一律同じ時間に働きましょうというのは無理があると思うのだ。
無理をしてそれを守ると、どこかには負担がかかる。
まぁ、家族優先にしましょうとか、仕事より家庭生活が大事とか、そんな思想を押し付ける気はないけど。
大前提、仕事も夫本人が選んで好きでやっていることなのだ。
私もそのように感じて今の働き方を選んでいるし、それに応じた収入を得ているが、そこはまだまだ目標の途中だ。
だから仕事の就業時間や、忙しさ、地理的な都合など、なにひとつ家族の問題に時間が割けない理由にはして欲しくないというだけだ。
あくまで、夫が、自分で選んで娘と過ごす時間を増やしたり減らしたりしているのだ。
夫が好きでその時間に仕事に出かけ、帰宅しているのだ。
そのために私が負担を負っていると思う場合は、相談させてもらう。
夫にしても逆の思いが芽生えて当然だ。
私がこの夫を選んでこの生活をしていることにしても、当然私が選んだ道だ。
私にとって夫がその状況を優先する理由がわからない時には言わせていただきたいし、
お金をかけてアウトソーシングできる部分や、効率化できる部分は積極的にその方法を取り入れたら良いと思う。
一緒にそれを考えて欲しいと夫に提案もする。
ただそれだけのことなのだけど。
みんな決まった時間に仕事に出かけて一斉に働き出すのが便利だと思ってしまうのだ。
それもわかるけど。
夫には、19:00、家族とともに夕食をとることより、その時間に仕事に関する何かしらをすることをどうしたって優先したいという時期もあったというだけだ。
そんな時に私は、
私がこんなに困っているのに、夫よ、あなたはどうしてもその時間に仕事を当てたいんだねと、思ってしまうよというだけの話だったんだ。
新型コロナ関連の選択で、自分の優柔不断さとはいつも興味のなさからくるものだと自覚した
緊急事態宣言が発令されましたね。
そうしてちょっと判断に困ることが出てきます。
自分の主義はこうだと決めて、突き進みたいことには突っ走って歯止めも聞かない私なのですが、
逆に、優柔不断に感じることも多くあります。
「どちらの可能性も考えてしまうよな」「というかどちらでも良いな」と思うようなことには、判断しかねてしまい、ついついズルズルしてしまいます。
そんな時に自分にとってその事柄の興味の度合いもわかります。
フリーランスの仕事の調整
私は大変優柔不断です。
判断基準を定め、それを決まったルールとして運用していくということが大の苦手です。
そのため、フリーランスの仕事においては、自分の報酬を決めることが本当に苦手です。
報酬を決める際の一番簡単な方法は、先方の予算を聞いてそれを受け入れることです。
また、自分が会社員時代、取引のあったフリーランスの方への報酬を思い出します。
どのくらいのボリュームと納期でどのくらいの報酬をお支払いしていたか。
そのような基準がある程度前例としてわかっていたようなものには、それを参考にいまの自分の仕事のプライスにも役立てさせてもらっています。
さて、新型コロナウイルス感染症が流行してからも、ありがたいことに私のフリーランスの仕事は売り上げが変わっていません。
というか、お取引先にとっても必ず毎月更新の必要があるような業務内容のものが多く、私の契約も継続更新していただいているという感じです。
通常時であれば、いつものフローであっさり来月分が契約更新されていきます。
今回の件があってもそのような感じでした。
仕事の契約内容も報酬もなんとなくいつもの流れです。しかし、実感として仕事の業務量は減っているという場合があるのです。
もちろん、新型コロナの流行の影響です。
私の業務量が減っていることは、先方もわかってると思うので、通常通りの契約続行がなんだか悪いような気がしてしまいます。
そこで、「仕事量は減っていますが、報酬含め、契約内容減らす方向で変更も可能ですよ〜」
と声かけすることにしました。
なんとなく先方にも気を使われていたら嫌だし、私は私で報酬泥棒のようで気になります。
利用している家事代行について
私は家事代行サービス、つまり家政婦さんを毎月だいたい週1日ほど利用しています。
私は掃除、料理、片付けなど、全般が大変苦手で、家の管理や衛生を保つことへの不安があります。
死ぬほどではないかもしれませんが、苦手なことを気にやむことで、ストレスになるくらいなら、サポートの手を常に確保しておきたいと考えています。
大変ありがたいサービスです。
1年以上来ていただいているので、お手伝いのおばちゃんとの関係も深まります。
彼女は70歳で、元気ですが、新型コロナに感染した場合、かなり心配であるご年齢だと思います。
そのため、本当なら来てもらわないということが安全なのかもしれません。
私の家庭の衛生は守られませんが、命に支障があるほどではないと思うので。
一方で、これを一旦休むことにすると、いつまた再開すれば良いのか、また、休みの間、おばちゃんの収入は減ってしまうことなど、考えると心配です。
このおばちゃんは大元の会社に業務委託契約で登録をして、うちに来てくれているのですが、持っているお客さん全てがお休みしてしまうと、ここからの報酬はゼロになります。
その場合には国からの補助などもあるのかもしれませんが、よくわかりません。
このような感じで、私の中ではなんとなくの対策しかできておらず、確固たる根拠を持って感染リスクのコントロールをできていないため、悩むのです。
「コロナで誰かが亡くなった」だとか「私自身が36.8度ほどの微熱である」などの場合は、心境がコロコロ変化します。
そうかといって、何か心配しすぎてしまうということが悪いことのように感じる自分もいます。
そんなこんなで優柔不断で結論を出せないまま、微熱が落ち着くまで1週間ほどおばちゃんは来ていただかず様子を見ています。
娘の保育園も今後どうするのか
娘は保育園に通っているのですが、緊急事態宣言が出されてからの本日も、娘の保育園からは特になんの連絡もなく、通常通りに預かってくれています。
そのため、私も普通に預けて仕事を家で行えます。
これは本当にありがたいのですが、当然登園させなければその分リスクもゼロになります。
保育園は休ませたからって、利用料を支払わないわけではありませんので(自治体や保育所の形態によっても異なると思います)、先述の家事代行のおばちゃんのような心配は無用です。
保育園は一人でも登園児が減れば、その分の考えうる感染リスクが減ります。
しかし、保育園に預けなければ仕事に手がつけられなくなるでしょう。
それはそれで、いつまでその状態を続けていれば良いのか明確な目処がたたないことに踏み切るのは勇気がいります。
結局、興味がないのだな
私が悩んでいるような問題は全てどちらでも良いと感じている程度の問題なのです。
もちろんこれは一般論ではなく、私についての話です。
選択を迫られるような事態では、何かしらの基準を元に、一つ一つ根拠を見つけながら、良さそうだということを無理矢理にでも決めることが可能です。
上記のことをそれぞれ見た際にも、自分なりの基準を持って根拠を見つけながら、選択に迫られていることを決断することは可能だと思います。
悩んでいる時というのは、その作業が面倒くさくて放置している状態なだけです。
それくらい、どちらでも良いことと、私は考えているのだと思います。
実際、自分が興味大なことに関しては、リサーチを重ね、自分なりの根拠を持ってぐいっと突き進むわけです。
その熱心さと押しの強さといったら周りが引くほどです。
そんな習性を改めて実感した出来事でした。
おしまい
入学、入社、面接などの初対面のシーンがものすごく苦手
人との初対面が苦手な人は多いと思います。
緊張しますし、構えますし、なんか変な感じに自分を作ってしまったりして失敗することも多いと思います。
初対面への苦手意識が、悪い方へぐっと向いてしまうのが面接だと思っています。
私は数度の転職を経験しました。
また、数えきれないほどの面接を受けました。
そこで感じたのは、面接が本当に苦手だということです。
また、入学や入社など、4月になると初対面が目白押しです。
このような初対面はかなり重要で、ここでしくじると挽回も難しくなります。
入学や入社では距離をとる
4月になると思い起こされるのが入学や入社などでの苦い経験です。
私は人との距離を測るのが苦手です。
近すぎるか遠すぎるかという極端な距離感で失敗するのです。
なので、入学や入社など、失敗すると挽回が難しく、替えが効かないようなシーンでは、適度な距離をとり様子を伺うことにします。
そのほうが間違いがないのです。
黙っていても、クラスや会社には一人や二人、話しかけてくれる奇特な方がいるものです。
私は、実は人見知りなのかもしれません。
一対一で話すときにはどもってしまったり、どこを見ていいかわからずキョロキョロしてしまったりします。
またそうかと思えば相手の話を上の空で聞いていて、どこか一点をぼーっと見つめて放心してしまうこともあります。
かなり意識を研ぎ澄ませておかないと、変わった挙動の人ということになります。
ちょっと話しかけたものの、「この人ちょっと変わってるな」と相手が察知し、逆に距離をとられてしまった瞬間などはよく経験しています。
それでもなんとかなるものです
結構長く付き合うことになる学校などの環境では、なんやかんやそのうち理解者ができて、馴染めるようになるのです。
時には浮くこともありながらも、なんとか生きていけるような図太さもそれなりに持ち合わせているように感じます。
これが会社ではどうかというと、新卒の会社ではある程度学生気分でも通用します。
学校でもそうだったように、仲の良い友人や先生など同様、理解してくれる同僚や上司というのは、何か頑張っていれば見つかるものです。
しかしながら、わかってもらうまでには大変時間がかかります。3年くらいかかるかもしれません。
例えば、新卒の登竜門的な仕事すら任せてもらえず、落ちこぼれということが自分でもしっかりわかりました。どんな雑用もミスります。
しかし新卒であるため会社はじっくり様子を見てくれたりします。
そのうち、「根性だけはあるな」とか、「これだけは異常に集中して取り組んでいるな」とか、「取引先からは変人として面白がられる」など、個性をある程度許容してくれる会社だと、そのうち馴染める場合もありました。
ただ、だんだん大人になってくると、自分の方が何か構えてしまって、うまく弱みを見せられません。
また、相手が私をちゃんとした大人扱いしてくることで、自分のペースを発揮できません。
日常で会う人と、面接や仕事で会う人は、違う国に住んでいるのではと思うほど、違う人種に思える
転職も2回目まではそこまでギャップは感じませんでした。
前職のスキルがそのまま通用したことや、周りがみんな年上だったことで、多少可愛がられていたように思います。
しかし結婚し、出産後の転職活動では、雰囲気がガラリと変わったことを実感しました。
面接で企業は、明らかに私の今後の可能性などを育むつもりはなく、何ができるのか、変なやつではないか、成果をすぐに出せるか、みたいなことをとてもきちんとした言葉で聞いてくるのです。
そこでなぜか本来の自分を出せません。
出してもどうかと思うのですが、なんだか凝り固まって変に緊張した大人っぽくない人になってしまうのです。
また、ちょっと嘘くさい格好つけたストーリーを用意してしまったりして、自然ではないので当日忘れて変なことを言います。
そんなとき、どうして普段飲み会や遊びで出会う人とはそこまで距離は感じないのに、こういった場面ではぎこちない自分が出てしまうのだろうと思います。
企業の面接官みたいな人たちと、日常で出会っている気がしないのです。
一体この人たちはどこで生活しているのだろう。
などと思いを巡らせます。
しかし、普段と違うのはお互い様。
だから先方もこの上なくよそよそしい感じになってしまうのかもしれません。
また、私は自分に自信がないので、面接で自分の長所や短所を率直に話せないません。それについて、以前夫に指摘されたことがあります。
「そういった取り繕いは、不誠実さとして何か違和感を相手に与えるものだよ」と。
なので、おそらく私の不誠実さも面接官に伝わってしまうのでしょう。
私は面接らしい面接で受かるという経験をほとんどしたことがありません。
結果企業側は見る目がある
それにしても企業の方というのは見る目があるものだと思います。
しかしそれもそのはず。
会社側の人間は明確に自分たちが好ましいと感じる人間とそう出ない人間をわかっています。
一方、こちらは面接官が好ましくなくても、それだけでこの会社はやめとこうとは考えていません。
また、実は私などでも採用に関わるようなことをやったことがあります。
その際には、これぞという人はなぜかわかります。
ちょっと変だぞという人はメールや電話にすらその雰囲気が現れます。
これはもう共通でそうなんだなということが、立場変わればわかるものでした。
弾いてもらえたことで、自分の生きやすい場所に行き着く
つまり私はいつも弾かれるべきところでは弾かれているのです。
初めは残念に感じますが、よくよく考えてみると、そのように弾いていただくことで、自分が馴染みにくい環境にあえて足を突っ込んで時間を浪費せずに済んでいるのです。
今となってはどこの会社にも務めることは難しいだろうと思っていますが、それはつまり自分がいまの働き方をある程度快適だと感じ、選んでいるということでもあるのです。
こうして淘汰され続けてきたことも、自分が生きやすい生き方を見つけるためには必要だったのだなと思えています。
昼間から飲んで保育園のお迎えに行けなかった私が、酒を辞めてからの話
金輪際アルコールを摂取しないと決めました。長い人生において、まだ禁酒2ヶ月なので、まだまだ長い道のりですが。
酒を辞めた今、私はどのような様子か
酒を辞めたばかりですが、今は娘の保育園のお迎えに難なく行けています。
以前は、15時半ごろから飲んでしまうことが度々で、たまに泥酔した日には娘の保育園へのお迎えが恐ろしかったのです。
といっても、ここ最近の新型コロナウイルスの感染拡大対策で、夫が時差出勤をしているため、断酒後のお迎え頻度はそう高くはありませんが。
また、娘に対する興味が湧いたことが、私にとっては嬉しい発見でした。
これにより、生活の幅が広がったような気がしています。
また、酒を飲み溺れるという感覚が、どのようなものだったか考えた時、あることに気がつきました。
私にとって酒を飲むということ自体が、格好をつけるというか、背徳感みたいなものを刺激する行為だったように思うのです。
だからこそ、落ち込んだ時や、自分がダメ人間だと思う時は余計にダメな行為である酒に浸り、アウトローな自分だから仕方ないでしょうと、自分がダメであることを隠すような感覚があったように思います。
なんなら、不良っぽいところが面白いでしょう?というイメージでしょうか。
その点、酒をやめた今、自分に酔った感じはだいぶ軽減されたように思います。
こうなると、もうありのままの自分を見せていてもいいじゃないか、というか酒の力を借りていなければ、つまらない、当たり前の自分でいるしかないと言う、開き直りの感情が生まれたように思います。
どんな時に酒を飲みたくなっていたのか
では、どんな時に酒の力を借りたくなっていたのか、どんな時に酒を飲んでアウトローな自分になってしまいたくなっていたのか、思い出してみました。
仕事のリセット
会社員時代なら、仕事終わりのプシュっと。つい最近なら、仕事の煮詰まり具合や、きりの良いところで飲み始めると言う感じです。
なんなら仕事に向かうモチベーションとして酒があるといっても過言ではありませんでした。
仕事を通して社会に馴染もうとするストレスから解放されたくて飲んでいたのが、仕事終わりに飲んで崩れる自分を楽しみに仕事していたのか、今となってはどちらでも良いのですが。
飲み会
飲み会の時には羽目を外すほど飲むのが習慣です。
私は飲んで自分を自分で盛り上げ、面白いキャラクターを演出する傾向がありました。
こんなクレイジーな私、面白いでしょ? という感じです。
飲み会から帰ると大抵、何かしでかしていないか、ひどいことをしてしまっていないかと、色々悩み落ち込むことになるのです。
ストレスを感じた時
仕事がうまくいかない時、日常生活でのストレスを感じた時、夫とのいざこざ。あらゆることが、酒に溺れても良い、いじけて良い理由になっていました。
ハイなとき
一方で、テンションが上がっている時にも飲みます。
昼間の早い時間から飲んでいる時は大抵そんな状態です。
楽しみなことがあるとか、嬉しい出来事があったときの祝杯なのですが、こういう時の反動はひどく、酒が切れると落ち込みました。
手持ち無沙汰にならないように
週末や、友人との会食など、人と会う時には必ず飲みます。
私は人との接し方がうまい方だと思っていました。
そして、毎回楽しい会食にしよう、それは自分の役目だ、と思っていました。
しかし、逆に上手に会話しなければと思うあまり、おそらくかなりストレスを抱えてしまう会話下手なタイプなのだと思います。
話が途切れることが嫌いで、ついつい話しすぎてしまいますし、テンションを保つために飲みます。
もしかしたら、周りはそんな私を逆に落ち着きがなさすぎると思っていたかもしれません。
酒を飲まなくなって感じたメリット
酒を飲まなくなったからといって、上記の全てが良い方向に劇的に変わったというわけではありません。
仕事の切り替えは、仕事終わりの酒がなくても意外とできています。
というか、昔ほど仕事が混んでいないため、仕事だプライベートだとあまり意識しなくなったように感じます。
過度な仕事ストレスが頻繁にないだけかもしれません。そのような生活になっていることは良いことなのですが。
そのほかは以下のような感じです。
・体の調子が良い、特に朝
・娘が見える
・周囲から驚かれる
・飲み代分が浮く
・時間がすごくある
・夜に家事などができる
・酒を切らす心配がいらない
・自転車で飲み会に行ける
大まかにいうと、金と時間と酔ってない肉体を手に入れたということになります。
当たり前ですが。
飲み会に行ってみた
酒を飲んでいた頃、飲み会の予定は月に1回は最低でもありました。
というか、出かけたり、友人と会うなどの約束では、もれなく酒を飲んでいました。
断酒後、数回、本格的に居酒屋さんや、レストランでのディナーの席で、周りは飲む友人ばかりという、いわゆる飲み会に行ってみました。
予定が入っていたので断らずにシラフで参加したのです。
全然普通に楽しめました。
私の場合、その場がしらけることが大変恐ろしいのですが、飲んでいた頃は酔いに任せてテンションをあげ、その場を盛り上げることを必死で考えていました。
しかし、自分がシラフで周りがみんな酔っていると、そんなに気にしなくていいのではないかと思えてきました。
まず、誰も人の話を真剣に聞いていませんし、酔っ払っている人は酒を飲んでいるだけで楽しいので、放っておいても大丈夫なようです。
また、こちらの方が冷静だぞという前提が私に自信を与え、盛り上げなくても強気になれます。
酔っていないので、テンパって余計なことを口にする心配もありません。
そして、そんな状態で初めて私は会話を楽しむ、その場を楽しむということをナチュラルにできた気がします。
また、以前は大抵、まだまだ飲みたいので、2次会、3次会と最後まで残るタイプでした。
しかし、飲んでいないのにずっと付き合うことは逆に驚かれ、なんなら感謝されるくらいです。
ジンジャーエールにも飽きてきて、
「夜も深いのでここらで」と自分から帰りたい気持ちが自然と湧きました。
周りに忖度せずに、帰りたくなったら帰ることができたのは初めての経験だったかもしれません。
ただ、酔っていた頃は帰り際の記憶がないだけなのですが。
飲まなくなってできた時間をどう使うか考えた
飲まないと最初は暇です。
時間をどう使えばいいのだろうと思ってしまいます。
というか、飲まなくても変わらない自分がいることに、恐怖を感じるのです。
相変わらずのなんでもない自分です。
空いた時間があってもやはり十分に娘にかけてやる時間に充ててなどいません。
仕事も模索中です。
夫との喧嘩も相変わらずです。
しかし、迷走しまくって、断酒なんてすごいことして、これ以上ないしてやった感あることをして、何も学ばない自分でいることが怖いので、
何かしなくてはいけないと窮屈な気持ちになるのです。
怒り出す私に怯え、あの時こうしなければよかったと、後悔するのはなぜか被害者である夫なのだ
怒る泣く、と感情が突如爆発してしまう私のせいで、夫と娘の何でもない日常が、突如恐ろしい一日に変わる。
私は私で、私を怒らせている一因は夫にあると、その瞬間は思っているので、自分の主張を止めようとしない。
夫から自分へのどんな言葉を引き出そうとしているのか、私は自分でもわからないので、その日が終了するまで私の怒りは収まらない。
こうして、私は自分の機嫌のコントロール方法がわからない。
毎回突如怒りだすことをくり返してしまう。
私の怒りが爆発してしまう時、夫は、こんな風に感じるのだろうか。
「あの時自分がこう言わなかったら、私を怒らせることはなかったのだろうか、ならばいっそ息を潜めて生きていよう。」
娘もいずれそのように考えるようになってしまうのかもしれない。
DVモラハラ人間は、被害者の幸せで穏やかな日常の全てを奪ってしまうんだ。
土曜日、昼間に喧嘩したばかりなのに、夜になり、また私は夫に怒りをぶつけ、泣いてしまった。
発端は、本当に何気ないことだ。
私が友人のインスタグタムを見ていて、彼女は出産したばかりなのだが、我が子の写真を投稿していた。
これについて、言葉にしなくても友人が我が子を、可愛くて仕方がないと感じているのだろうなという様子が伝わる、と夫に話した。
そして 自分は出産時、同じように思えなかったこと、またいまでも娘を溺愛してあげられない、など悩んでいる思いを話した。
夫はすごくうざそうにしている感じがした。
その態度に私はイラっとする。
私はなぜ夫がわたしの話にそのような態度をとるのか、非言語で表現するならきちんと言ってくれよと言った。
話しているうちにまた感情が高ぶり泣いてしまう。
娘はずっと
「うるさーい、うるさーい」
と叫んでいる。
その後、私は病院から処方されているレキサルティと、液体タイプの安定剤のようなものを摂取した。その行為によって少し落ち着く。
それから、今の夫の私への扱いは、何だか自分の母に対する、父や私の態度のようだなと感じた。
母は父や私に必死に何かを伝えようといつも愚痴や自分目線の話を突然話だし、だいたいそれは悩んでも仕方ないじゃん、そんなにストレスならそうしなければいいじゃん。と、突っ込みたくなるような内容の話なのだ。
しかし、母は話をしている最中にはその話題や考えに囚われ、抜け出せないように私には見えていた。
今思うと、私は父に対しては、そのような愚痴をこぼしている印象がない。
また、それ故に父がこのような「またくだらない話をして」とバカにされる対象になることもあまりない。
不思議だ。
まぁ、これは歳をとってしまえば男親も女親も同じようなものかもしれないのだが。
そんな母に対して私や父は、おばさんだから、歳だからとどこかバカにしたような態度で、仕方なく話を聞いてやったり、時にははっきり切り捨てるようなことを言ったりしていたように思う。
今の自分はそれと同じなのだなと感じた。
自分がバカにしていた母と同じことをしている。
初めてその立場になってわかったのは、確かに一旦話し出すとどうにも聞いて欲しいという気持ちが溢れ出し、一方的に自分中心の会話を展開してしまう。
時には、主語がないとか意味がわからないとか指摘される。
そして、自分でも、ああ、うざがられているな。
それなのに楽しい話題をできない自分って何なんだろう。
こんな自分って何なんだろうと感じている。
母もそうだったのだろうか。
夫にそのようなことをぐちゃぐちゃまだ言い続ける。
夫になぜ私をバカにするのか、あなたがうざがるからこちらも腹がたつのだと主張する。
夫は、娘が嫌がっているのに、話をやめられない私にうんざりしてしまうと、うざがってしまう理由について話してくれた。
ああ、そこなんだ。
これも言われてみると意外と想像していた答えと違った。
常に私は思い込みで勝手に熱くなっているだけなのだ。
夫はこの喧嘩が良い方向に話し合えて、終息するように思えないので一旦家を出る、と言って娘を連れて出ていった。
その日はホテルに泊まってくれるという。
私も娘に、
「こんこん(夫)とお外にお出かけ行く?」
と聞くと、
「お出かけ行く」
と娘は答えた。
出かける際に娘が私に
「バイバーイ!」
と元気よく声をかける。
私はそれを見て、なぜかまた泣く。
私の泣き始める顔を見た娘は、表情を一瞬曇らせる。
それを私は見逃さない。
罪悪感でまた涙が溢れた。
双極性だし、セックスレスだし、モラハラDV女だし。夫が私と一緒にいるメリットはあるのか
プチ夫婦喧嘩をした。
その発端はいつもこんな感じだ。
友人とのちょっとした価値観の違いなどにストレスを感じている際、全く関係のない夫についつい一方的にそのことを相談したりしてしまう。
今日もプチ喧嘩の始まりはそんな感じだった。
夫と喧嘩が始まる数時間前、こんな時だから暇だねと、友人2人とオンライン集会をすることに。
そこで、たわいもない会話の延長で、私が今、FXやネットワークビジネスに興味を持っていることを話した。
私は、我が家の経済を不安に感じていて、裕福になりたい。
それを今の夫の企業勤めや、私のフリーランスの収入をアップさせることで打開するには限界を感じている。そんなことから、何か一気に収入を増やす方法はないだろうかと模索している。
そんなことを考えながら、友人にこれらお金を増やす方法についての興味の話をしたのだ。
すると、開口一番
「辞めときな、借金追うことになるよ」
とのことだった。
FXにしろネットワークビジネスにしろ、当然一定数の反対派がいることは知っているし、以前も私もそのタイプだった。
とはいえ、やや引っ掛かりを感じる。
友人たちからすれば、彼女らが危険視しているFXやネットワークビジネスの話を突然され(興味を持っているといっただけだが)、面倒くさいことに巻き込まれたくない、あるいは、ついてけねーよって感じだったかと思う。
しかし私は一旦イラっとすると流すことができない。自分から振った話で自分から噛み付いてしまう。確かに私は厄介な人間だ。
私は、その友人たちが特に否定もしないだろう勤労という手段では、コツコツ仕事していても、見ての通りの貧乏生活をしていて、このまま頭打ちだなと思えてきたこと、
(この経済的困難が、この時の話の背景にあることまで友人ふたり頭に入れていなかっただろう。)
そんな中で、FXやネットワークビジネスがひとつ希望になったのだということ。
これは生きる希望といっても過言ではない。
それを、良くないと頭ごなしに否定されることで、希望を否定されたような気持ちになりショックだったこと。
また、何か本当に勝算がないという根拠がある、あるいはその件はすでに勉強したり、経験していたりして詳しいので、止めたいと思ってくれたのなら真剣にそのように止めて欲しいものだということ。
などをオンラインミーティングが終わった後にモヤモヤして、LINEにてとくとくと伝えた。
そして一通りやりとりして勝手にクールダウンしてから考えた。
好意的に受け止められない可能性のある話を振っておいて、予想できる事態が案の定おこり、ここまで腹を立ててしまう自分の地雷の本質はなんなのか。
想定の範囲内だったのではないのか。
喧嘩の発端を常に探していたのではないか。
ふたりと私との関係において、どこかしらもやっとするところを普段から持っており、そこ目掛けてむしろ手榴弾を仕掛けたのだ。
ふたりとはいずれも意見が食い違うことが度々あり、この資産運用の件以外にも子育てに関しても私とは意見が対立することが結構ある。
かつ、私の引っかかりは、本当に私に幸せになって欲しいと思って、常に自分たちの良いと思うことを私にお勧めしようという目線で接してくれているのか、いや、そういう風には思えないという点だ。
二人の友人は、資産運用に関しては何もやっていないというわけではなく、しっかり投資や株トレードまでしているらしいのだ。
FXやネットワークビジネスは、これとは違って借金を抱える可能性があるのが心配だと考えているようだ。
これも友人ふたりの実体験からくる話ではなく、イメージによるものだが。
そういったネガティブ意見もわかる。
そこで私は感じる。その良いとする、投資や株トレードなどの手法を勧めてくれよと。
リスクになりそうなことを否定するのと同時に、自分が良いと思ってやっていることがあるなら、その情報を共有して欲しいものだ。
お金の話に関しては、リスクに関してやお金がないという話はよくされるものの、儲け話を皆したがらないのはなぜだろう。
そこに私のちょっとした友人ふたりへの疑念が生まれる。
これまた考えすぎだが、友人たちには、私の生活が恵まれたものにでも見えているというのだろうか。
仮に、
「こひがしの生活全然良いじゃん、私もこひがしみたいになりたい」
ということであれば、そんな恵まれている生活があるのだから、リスクなどは取らずにその生活を守って生きていくことが幸せではないかと私を諭すのは当然だ。
しかしながら、私の生活はふたりの友人に羨んでもらえるようなものだとは到底思えない。
羨んでいなくても良いのだが、私にはいつも、いや自分たちの生活がなんやかんや一番と考えている人たちのように思えてくる。
ではその幸せの秘訣の方を教えてくれよと思うのだ。
そんな妄想混じりの愚痴を夫に訴える。
そして、私はどこか冷めた目で友人たちから扱われているのではないか、今熱量の高まっていることを話したいとなると、付き合うネットワークを思う方向にシフトしていくのが良いのかと思っている。という内容を話した。
すると夫から、
FXやネットワークビジネスにアレルギーを示す人はいるものだと改めて諭された。
その詳細も聞きたくないという人すらいる。これは話す際には覚悟した方が良い。と。
それと夫の意見はもうひとつ、これが今回の喧嘩の原因になるのだが、
私の地雷は、どこにあるかわからない、踏むと大変面倒くさいので、それを以前から経験しているような友人たちであれば、私のイラっとを感じ始めると、距離を置く、もしくは鼻から地雷を踏まないようにしようと、日頃私とは差し障りのあるお金の話題などすることを避けているのではないかというのだ。
夫自身も私の地雷を踏まないようにしようと、腫れ物に触るように少し距離をおいて接してしまうことがある。というのだ。
これは聞き捨てならない。
また地雷を踏んでしまったな。
お互いが後悔した。
ただ、今回はここで少し冷静になることができた。
そしてその地雷について分解してみた。
私がなぜ夫とは関係のないことで、夫への怒りに転換してしまうのか。
それは、私が根底に、夫から認められていない、愛されていないと思っていることが原因している。
セックスレス然り。
だからついつい夫のちょっとした客観的な意見が、
「ああ、やっぱり私のことを認めていないから、共感してくれないんだね」となる。
そして、
「そんなに認めてないなら、なぜ一緒にいるんだ」
などといちゃもんをつける。
夫が私を怖いと感じる時もありながら、一緒にいるのは、いつか双極性障害の症状が落ち着き、私の感情の乱高下がなくなると信じているからだというのだ。
さらに夫に、私が夫から愛されていないと感じるように、自分も私から認められていないと感じることはあるか聞くと、
私がよく口にする、「言うことをなんでも聞いてくれる夫である」「便利な夫である」などと言う表現に、自分はそれだけの存在なんだろうなと自信をなくすそうだ。
改めて聞くと、それはかわいそうな言い方をしているなと感じる。
私はいつも自分が言われたら傷つくようなことを、対男性には投げかけ、プライドが高くないか、自分に食ってかかるような可愛くない男ではないか試す節がある。
そうして、その優しさにどんどん甘え、乱暴な言葉を投げかけ、自分の面倒だと思うことは全て押し付ける、モラハラ・DV女なのだ。
しかし同時に、そのような癖がなかなか抜けず、どう直していっていいかわからないので、「傷ついた」ということをその都度言って欲しいとお願いしてみた。
ただ、夫は何度も私にそのように言っているが、私が忘れてしまっているのだろうと主張する。
自分でも自分が手に負えないと思った。
そこで、夫に、私の感情の起伏が激しかったり、モラハラ発言を行ってしまうのは、病気のせいではなく、通常そのような傾向が強い人間で、治していくようにカウンセリングや治療は行うが、これがいつ治るかわからないので期待しないで欲しいと伝えた。
ある意味開き直っているのだが、これを期待されても、お互いに時間を無駄にするだけだと感じた。
病気はこれから20年、30年、治らない可能性だってあるのだ。あるいは一生治らないかもしれないのだ。
その30年の間、いつか本当のこひがしになってくれるのだと期待するのは大変悲しい。
その30年の間、我慢の関係を当たり障りなく続けるのか、しかしこれは意味がないと思う。
30年後、仮に病気が完治したこひがしが現れたとして、それは夫が期待するような、感情の起伏を自分でコントロールできるような大人の女性なのだろうか。
病気の間も、その人はその人なのだ。
病気のその間、夫が私と過ごす意味はどこにあるのだろう。
地雷を抱え、いつ自分を破壊してくるかわからない私と一緒にいるには、それなりにその意味、私の魅力を、夫なりに見つけてもらわなければならないだろうと思うのだ。
一定量の仕事と収入の証であるかのような保育園、仕事と保育園は常に私にプレッシャーを与える
前回の続きです。
スタートアップの会社で広報業務をお手伝いすることになり、妊娠後の本格的な仕事スタートに、期待する気持ちが強かったと思います。
ワクワクでいっぱいでした。
しかし、全くうまくいきません。
仕事の再スタートは思ったようなキラキラでしたものではなかった
スタートアップ企業での仕事は本当に整ってはおらず、混沌としていて情報を拾っていくだけでも一苦労です。
これまでの仕事ではできなくて当たり前の新卒から、なんとか身につけていったスキルを、転職先でもフリーランスでもそのまま使えるような仕事しか選びませんでした。
一方、スタートアップ企業では、世の中にないサービスを生み出すと同時に、会社のシステムも作っていかなければならないのです。
それこそメンバー一人ひとりが自分で自分の仕事を作るようなものです。
まだこの頃はADHDの自覚のなかった私ですが、もともとスケジュール管理や、物事の優先順位を決めることが苦手でした。
苦手なことをメンバーの方に相談することもできずに、結構ストレスを抱えていました。
はじめの頃は、そのような感じで信頼もなかなか築くことができず、企業とも良い関係を構築できていませんでした。
同時に夫婦の間でも喧嘩の絶えない日々でした。
これも仕事のストレスを私が家庭内に持ち込んでいるような状態も原因でした。
また、夫は夫で、アルバイトだった会社でそのまま正社員として働きはじめましたが、この頃夜は21時から22時帰宅が平均で、終電近くなることもありました。
朝の保育園への送迎は私が行うことがほとんどでした。
また、娘の保育園確保を私が一人で手配したことも、今思えばなんとなく癪でした。
さらに、妊娠からここまでの間は、フリーでライターの仕事を請け負っていたとはいえ、馴染みの方々との仕事をゆるく引き受けていた状態でした。
もしくは、クラウドソーシングで受託していた仕事なので、顔を合わすことなく、条件だけで忖度なしのやりとりができていました。
そもそもそこまで連絡を取り合うこともありません。味気ないですが、お互い割り切っているので楽です。
こうして妊娠期を入れると、約1年8ヶ月ほど、仕事とはマイペースな付き合い方をしていました。
そのため、本格始動後は、がんがん加速しなければいけない、自分のお休みしていたキャリアを再びリスタートさせなければいけないと、力が入りすぎていて面倒くさい感じだったかと思います。
結局、業務委託でのスタートアップの手伝いは、保育園入園の4月にスタートし、その年の12月ごろには9ヶ月間のお付き合いを終了し、1月には別の会社へ就職することになります。後者の企業は仮にT社とします。
ここも3ヶ月しか続かなかったのですが。
T社は、スタートアップで業務委託していた際に出会った、同じママさん業務委託の方の紹介でした。
その方が、私より先にスタートアップ企業での業務委託を辞め、T社に就職していたのです。
そこでT社に私を誘ってくれました。
縁故による就職は子育て中の再就職者におすすめ
紹介での就職に関しては、プラスのイメージがない方もいると思います。
マイナス面としては、一緒に仕事する中で、知人との関係が悪くならないか、自分が職場に馴染めなかった場合、最悪その会社をやめてしまう際に、知人の顔を潰すことにはならないかなどでしょうか。
しかしながら、紹介は再就職に苦戦する子育て中の親には大変おすすめです。
一からはじめましての会社への就職活動が全く上手くいかなかった場合、縁故を頼れば何かしらの仕事にありつけるのではないでしょうか。
結局ぐちゃぐちゃしながら退職した私がおすすめしても説得力はないのですが。
おすすめする理由のひとつは、大前提として、会社は紹介者が大切なので、紹介を受け入れたからにはほぼほぼ採用を決めるということがあると思います。それが会社のメリットになる場合も多いのだと思います。
また、知人同士はどこかしら似た者同士。企業側も、従業員の紹介であるならその人の信頼できる部分に通づるものがある人であろう、という目ではじめから好意的に見てくれるのです。
また、小さな子供を保育園に預けながらの就職では、それに付随してこちらからの条件を、要望として伝えたくなるかと思います。
企業側の担当者も人間です。理解は示しながらも、どこかで要望の多い人だなという印象にもなりがちかと思います。
しかし、紹介であれば、一通りの背景を知人が説明してくれている場合が多いでしょう。
当然、子育て中であることなど伝えていると思います。
その上で、採用を考えてもらっているのであれば、面談の際、面接者に質問されたこと以外は、あえて子育てにまつわる不安をこちらから申し出なくても良いように思えます。
また、構えすぎて面談が苦手な方、私のような極度に緊張したり、本音を突然口にしてしまうような方は、面談者がどのような方なのか、紹介者にあらかじめ聞いたり、自分の人柄に関するちょっと変わった点などを伝えておいてもらうと良いかもしれません。
企業は結局、バリバリ継続的にフルタイム(状況によっては残業もしてくれる)で働いてくれる人、融通が利く人、である方が良いに決まっています。
また当然ながら、それでいて優秀な人です。
時短勤務なりの条件付きの人をあえて雇いたいとい場合は、何かしらその不利な条件を認めてでも採用したい魅力を感じさせなければならないのです。
紹介は、それだけ知人の信頼ベースでひとつ保証をもらった状態であるということです。
私の場合は、上手くいかず辞めてしまうのですが。
就職後、3ヶ月の試用期間で実質クビに
結果T社は試用期間の3ヶ月で退職します。それも、1ヶ月と半月ほどで、会社に出勤できない状態になります。
今思えば、構えすぎていたと思います。
自分にぴったり合う環境を勝手に求めていた節もあります。
100点の会社もないし、100点の自分(自分が思う100点の自分)にもなれないのです。
成果もなかなか目に見える形にできず、会社からの評価がどんどん気になるようになりました。
別に何を言われたわけでもないので、気にしすぎなのですが。
そもそも今思えば、この仕事をこの職場でどのように極めていくのか、なんのヴィジョンもありませんでした。
契約社員で月給を約束され、よければボーナスも出してもらえる。
リモートや、止む終えない休暇申請なども受け付けてくれる、縛りの少ない自由な雰囲気の会社でしたが、その代わり、成果をあげてくれることが大前提という感じでした。
そのうち、成果をあげることもできず、打つ手がわからず、仕事がなくなり、暇になるようになりました。
この状況に耐えられなくなり、会社に出社するのが億劫になります。
そもそも仕事に対して私なりの余裕を持てるような捉え方ができていなかったのが問題だったと反省しています。
例えば、ブランクがあること、子育てのために時短勤務にしたいことなど、そのために今はスローダウンするときだ、などの計画を持てていたらよかったのでしょう。
しかし、私は焦っていました。
妊娠して以来、正社員でサラリーマンだった頃の状態に戻りたい、そして収入を取り戻したいと躍起になる気持ちが芽生えていました。
状況が変わったのに、そこばかりにこだわり焦ると、当然できないのでうまく行きません。
そんな中、雇用とはいえ、T社では契約社員という条件でした。
これも不満に感じていたのだと思います。
また、採用業務の一部も担っていたのですが、自分の雇用条件に満足していないのに、これから雇用する方々のことを思って仕事に励むのは大変苦痛なものです。
理想の人材設定を会社の人たちにヒアリングしながら、自分はこの人たちの言っている採用したい人材に当てはまっていないな、とマイナスな気持ちがむくむくと沸き起こり、落ち込みます。
最後は代表に率直に今の状態や思いを相談しました。
互いのために、契約を切りましょう。と実質クビとなるのです。
保育園は辞めなくて良いのか
私はT社の入社が決まる以前の4月の段階で、認可外保育園に娘を入園させています。
実はさらにその後の10月(これもT社に入社する前の話。T社入社はこの翌年の1月)に認可保育所の入所申請を出していました。
なので、その申請は個人事業主として、業務委託の仕事を請け負っていた状態で申請したものです。スタートアップ企業とライターをしていた内容です。
そして認可保育園の入園が決まったことが、翌年の1月、T社に入社した直後に判明しました。
そこで、4月からの認可保育園入園時にはT社で雇用として働いていることに、内容を変更しなければならないなと思っていました。
しかし、認可保育園の入園前である3月で、T社を退職することになります。
これで4月の入園を前に、また個人事業主状態に戻ったというわけです(T社入社の際、廃業届は出していなかった)。
なので、これはこれで良いのですが、娘が保育園に通い続けるためには、個人事業主としての時k行の実態を作らなければならないのです。
あるいは転職を即決めるという手もありますが、転職活動中であることでも入園が可能か、認可保育園と直接交渉しなければなりません。
そこで私は、個人事業主として、急いで請け負う仕事を見つけることにしました。
稼げない私は、保育園に娘を通わせる資格がないと思った
T社の退職で、私はかなり自分に自信をなくしていました。
もう、会社勤めに理想を持つのは辞めました。
人と関わりながら仕事をしていくことにも、不安を感じました。
人に迷惑をかけるくらいなら、一人で仕事をしていた方が良いと感じたのです。
そこで、徐々にではありますが、ライターの仕事をまた請け負うことにしました。
その頃の月収は本当に少額で、売上と保育園はそこまでシビアには関係ないのですが、通わせていることに後ろめたさを感じました。
たくさん稼げない私は、保育園に通わせる資格もないように思え、先生や保護者に合わせる顔がないと感じていました。
そうすると、ついついお酒に手が伸びます。そしてお迎えにいけなくなります。
そうして落ち込みます。
さらに、たまにハイになる日もあります。そしてまた飲みます。
ひどい状態でした。
就職、保活、漏れなくなんでも苦労する性分
4月ですね。この時期、子育てをしている方は何かと大変なことでしょう。
特に私のように、計画を立てたり、手続きなどの処務が苦手な方は、皆がするすると行っていることで、人並みならぬ苦労が生じるのではないでしょうか。
遡ること2年前、無事娘の4月の認可外保育園入園の予約をとりつけることができた私。
しかしこの時、決まった月の収入が確保できていませんでした。
そう、仕事を決めなければならなかったのです。
入園までの2ヶ月で、就職先を見つけなければならない
保育園は仕事をすでに持っていて、仕事復帰をする方だけが子供を預けているわけではありません。
一例に、私のように、就職活動中という方が、入りにくいものの3ヶ月の間就職活動のために子供を預けて良いいうことになっています。(自治体によってルールは異なる可能性があります)
しかし、この就職活動中という期間を保育園入園ごに申請していい期間は1年に一回、3ヶ月間だけということになります。
再就職に、はじめての子育て、園長先生にアドバイスされます。
一度就職活動期間を使ってしまってから、同じ年に、転職を考えたくなった際に、退園せざるおえなくなるケースも考えられるので、4月までの入園前に仕事を決めてしまうことをおすすめすると。
確かに、企業にも3ヶ月間の使用期間というものが通例となっているように、会社に勤めて早々の3ヶ月、とは言わなくても1年以内に、辞めますという結果になることは多くある話なのだと思いました。
そこで、保育園が決まった1月から4月の入園までの間に、今度は仕事を決めることを決意します。
ありがたいことに、その間の娘の預け先も確保します。
子育てサポート(ファミリーサポート)なるサービスを使い、ヘルパーさんである近所のおばちゃんが娘を預かってくれることになりました。
こうしてやっと、就活をスタートさせました。
パートアルバイトとしていくつか企業の面接を受ける
初年度からの時短や、子育て中に休みなどを気軽にとることの出来る環境が良かったため、私の希望はフルタイムではなく6時間程度のアルバイトです。
その際、今後仕事のボリュームを増やしていけたり、ステップアップが見込める職場が良いと思っていました。
そのため、かなり吟味をし、最終的に決めたのはスタートアップのベンチャー企業でした。
私がスタートアップに決めたのは、条件が合うということです。
スタートアップは再就職の時短勤務に大変おすすめ
仕事をする際、私は職種にかなりこだわりを持つタイプです。
これぞと思った仕事を、まずは企業で勉強しながら極めて行きたい、とこの時は意気込んでいました。
そうなると、人気の企業で、大変キラキラした理念を掲げ、素敵なオフィスで、優秀そうな仲間たちと、、、
と一方的な思いばかりで高望みしがちになるのです。
しかし、そんな企業に勤めるのはちょっと変わり者を自負する私には大変難しいことです。
そんな中、スタートアップ企業というのは、意外と条件が合う場合が多いことに気がつきました。
まず、社会課題を解決したいなど共感できるようなキラキラの理念を掲げている企業が多い(これに共感できないと辛い)、信用がまだないので常に人材不足、トップ(社長である場合が多い)と直で面談して1回ほどで採用不採用を決めてくれる、お互い変わり者同士、お金がないので薄利で働いてくれる人の手伝いを求めている、社内規定など確固たるものがまだなくフルフレックス、フルリモートが多い。
このような条件が、業態にこだわりたい、時短勤務希望、休みなど融通がきく、などの私の要望と意外とマッチするのです。
そもそもスタートアップ企業なるものがあるということを私は知りませんでした(はじめはどの企業もスタートアップであることは当たり前なのですが、考えたこともなかった)。
きっかけは、Wantedly(ウォンテッドリー)という企業と人材のマッチングを行う会社が催したイベントに参加したことです。
ここに参加しているスタートアップはどの企業もある程度事業が形になった(スタートアップにしては)ところばかりでした。
なので、私としてはちょっと鼻じろむという感じもありました。
その中の一つの企業のブースで、青年社長と話をしていると、
「あなたの希望に近そうな事業をしている知人がいるから、紹介しますよ」
と言って連絡先を教えてくれました。
また、その場でさっと連絡してくれました。
大変親切な方でした。
会ってみると若い女性社長で、しっかりした方。
すごく興味を惹かれ、その場で参加することを決めました。
また、今後会社を成長させていくので、正社員として働いてもらうことも可能という嬉しい情報も。
まずは、時短でアルバイト的な働き方で双方合意していました。
しかし、一点あまりよく考えずに決めて、後々ミスマッチになるのですが、ここで結局就職ではなく業務委託という形に落ち着いたのです。
もともとアルバイトで探していた仕事ですので、この時はまぁいいか、まずはアルバイトから、後々正社員になれる可能性もあるんだ。
しかもその間、他にも仕事を受託しても良いくらいなのだ、
くらいに軽く考えようと思っていました。
これが後々まで信頼関係を築けない原因になったと思っています。
途中で優秀であれば正社員に、とこの会社でも当然考えてくれての提案だったのでしょう。
しかし、私はちょっと問題のある人でしたので、何かとぶつかり合うことになって結局はこことの仕事はいつかやめよう、と考え続けながら仕事を請け負った年の10月には手を引くことになります。
4月の入園、慣らし保育の間の仕事はどうしたのか
4月のスタート時に戻り、無事、月の収入が見込めるようになり、育園入園です。
はじめは2週間ほどの慣らし保育があります。
この間、娘は午前中にはお迎えに行かなければならいない日も幾日か続くため、実質通常勤務は難しい時期です。
この際には仕事の融通をきかせてもらいました。
4月のはじめの2週間をオンラインの顔合わせやミーティング、必要なことをメールでご連絡くださる程度の家での待機としていただきました。
慣らし保育が終わった時期から本格的に仕事を振ってもらうことで、実質家でお迎えまで待機しているだけの2週間でした。
慣らし保育への不安は全くなく、正直自分の仕事のスタートの方が心配なくらいでした。
今となれば懐かしい話です。
つづく
4月1日、そういえば保育園入所って大変だった
本日もありがたいことに、娘は元気に保育所へ登園し、クラスが進級しました。
娘を保育園に入れて、2年が経ったのだと感慨深く思います。
保育園と私の仕事の変遷ですが、当然のことながら大変関わりの深いものです。
娘の成長を感じるより強く、自分自身に起こった色々に思いをはせたりしています。
離職中に妊娠、その辺りから私のドタバタが始まる
私は、会社をいくつも転職しています。
合わずにというか、思いつめてぐしゃぐしゃになって辞めるのが常です。
離職理由などは割愛します。いずれまた。
2つめの会社を離職した直後、娘の妊娠がわかりました。
こういうところも大変無計画なのですが。大変だったこの会社での疲弊を少し回復させてから、じっくり次を探そう。
そう思っていた開放感からでしょうか。
離職した月に妊娠したのです。
当時夫はアルバイトで、私は離職中。要は無職。こりゃ大変だということに不安が募ります。
夫は夫で正社員になる決意をすることになります。
ハローワークで相談するものの、今の状態では再就職は難しいという現実と直面します。
就職と出産時期が近いということは、就職直後に産前に6週間、産後に8週間の休業が労働基準法に定められています。
そんな状態でも雇ってくれる会社があれば、大変理解のある会社でしょうが、この理解重視で仕事を探すと、条件的には希望を多くは望めないということにもなります。
しかし、不思議なもので、就職の厳しい現実を伝えられながら、就職希望を前提としたハローワークに通い続け、失業給付金の支給中には仕事を見つけることを目指しているのです。
それはそれとして。
私はとりあえず妊娠中では仕事は決まらないだろうからと、出産後まで就職活動を続けることを決意しました。
今でこそそんな風にあっさりと回想できますが、当時は一年近くも仕事のブランクができるなんて、さらに出産後の保育園はどうしようなど、色々と不安でした。
妊娠中にフリーで仕事を請け負う
私は妊娠中も続く、経済的な不安をなんとかしようと思い、個人で請け負える仕事を探すことにしました。
もともとライターや編集に携わっていたのですが、以前の仕事のつてなどを頼ったり、クラウドソーシングを利用したりして、ライター業で月収8万円ほどの仕事を請け負うことでなんとかしのぎました。
ただ、ライター業をフリーランスでやっていくことはこの時には考えていませんでした。
これ以上に仕事を自力で増やしていける気がしなかったのと、個人事業主への抵抗もありました。
また、そもそも勤労時間が不規則になりがちな仕事だったので、転職を決意することになったという経緯もありました。
どうなるのか全くわからない中、とりあえず子供は無事に産まれました。
収入は半減レベルでも全然生きて行けることもわかりました。
娘の保育園をどうするか
娘の出産後は、一旦中断していた仕事を再開することが難しくなりました。
というか、読めないといった感じでした。
娘を保育園に入園させなければ、仕事を拡大はしていけない、今のボリュームすらこなせる自信がない。
出産後の悩みは色々ありましたが、ここでは割愛して、仕事の継続、保育所探しに焦点を当てたいと思います。
前提として、やはり私は仕事をし続けて生きていこうと思っていました。
そこで、保育所事情をリサーチします。
これが大変厳しいもので、娘が生まれた翌年の4月の入園のために、前年10月(娘の産まれた年)の保育所の申し込み手続きを行うため役所に赴きます。
ところが、私の条件では厳しいと言われたのです。
その理由としては、無知だった私は、自分が個人事業主登録をしていなかったため、無職であるという説明をしました。
そのことで、担当の方からは、就職活動中ということであれば、入所は難しいとやんわり申し込みを控えるよう勧められます。
この言葉を鵜呑みにし、私はその年の申請を諦めました。しかし今思えば、待機児童になろうと申し込みはしておくべきでした。
キャンセルになった場合の繰り上げの可能性もあるからです。
役所は経験からのアドバイスをくださいましたが、待機児童を増やしたくないという思いもあったかと思います。
こうして認可保育所は諦め、一時保育をしてくれる保育所やいわゆる認可外保育施設の情報を集めます。
一時保育であれば、週3日程度の預りで、かつ予約制でしっかり予定が見込めないため、雇用やシフトが固定の仕事は無理だろうと思っていました。
月に4万〜6万円ほどになるかもしれない認可外保育園への出費は厳しいのですが、再就職の足がかりと思い、こちらを希望していました。
すると奇跡的に認可外の保育所の空きを、娘が生まれた翌年の1月に見つけることができたのです。
4月のからの入園のため、私はとにかく申し込みました。
就職活動に苦戦
こうなると問題になってくるのは仕事です。
フリーランスで仕事をどんどん増やして行けるという自信はこの頃なかったので、再就職しようと決意します。
月16日以上、一日4時間以上の仕事につくことが入園の基本的な条件でした。(これは園が独自に設けているルールで、認可外保育所への自治体の補助金などの関係で、この条件を満たす家庭を優先しているということのようです)
契約社員や派遣、正社員は、初年度からの時短勤務や、入社直後の有給が認められない時期に、娘がもらってくるであろう風邪などの休みや、4月の入園当初の慣らし保育(短くても2週間ほど)に対応できないと考えました。
これも応募していくうちに判明したことです。
中でも、一番困っていたのは1月に認可外保育園の入園予約はできたものの、4月の実際の入園までの間の3ヶ月ほど、私は24時間娘を帯同しています。
この間にどうやって企業の就職面接に行けば良いのだろうと思ったのです。
子育て支援サポート(ファミリーサポートなど)という制度を発見
自治体などが取りまとめている子育てサポートの取り組みで、ベビーシッター的なものがあります。
サポートを受けたい子育て世帯の近所の方で、研修を受けた子育てヘルパーさん(大抵いがベテラン主婦の方)が、時間700円ほどの破格で子供をヘルパーさんの自宅で預かってくれるサービスです。
自治体にいくつか拠点があります。大抵は子育て支援センターや学童などが一緒になった自治体の施設が、取りまとめているので、そこに問い合わせます。
その後一度、施設に登録作業に伺い、1200円ほどの年間保険料を支払い、近所のヘルパーさんを紹介してくれるのです。
価格は自治体ごとに異なります。
私は早速登録をして、ヘルパーさんとの面談をしました。
これまで里親などもなんども引き受けていらっしゃるという、超親切そうなおばさんでした。
年齢は60代半ばから後半くらい。
そのころも、娘より1学年上の1歳時のお子さんを里子として育てており、かつうちの子の引き受けも快く了承してくれました。
その後、そのおばちゃんの力を借りていくつもの企業の面接にいくことになります。
今でも足を向けて寝られない、ありがとう、おばちゃん。
ここまででも、なぜか複雑でややこしいことになってしまうのは、私の衝動的な計画性のない行動が原因だと思います。
面倒臭い状態に自分で陥って、回収するためにまた奮闘するのです。
つづく
たばこと酒が欠かせなかったころ~ついに酒を辞めた日
私は酒を辞めました。最後にお酒を飲んだ日から、約2ヶ月ほど経とうとしています。
お酒を辞めたということは、もう金輪際アルコールを飲まないということです。
身近では、禁煙についてはよく聞きます。また、酒を控えたいという声は耳にするのですが、実際に断酒をしているという話はあまり聞かないかもしれません。
ただ、今となっては酒もたばこも辞めてしまえば同じこと。吸っていたな、飲んでいたなというくらいです。
私の個人的な感想では、禁煙より断酒の方が辞めた直後、摂取したいという強い衝動は少ないように感じます。
また、たばこは度々吸っていた感覚を思い出すことがあるのですが、酒に関しては味を懐かしむような気持ちもさほど生まれません。
どのようにして辞めたのか、書いていきたいと思います。
酒をやめるきっかけ
たばこの時と同じように、酒をやめるきっかけとなったのも、夫婦喧嘩でした。
幾度も繰り返された喧嘩で徐々に消耗していった夫は、異常に痩せたり、顔面麻痺になったりと、ストレスが身体にまで出ていました。
本当に話さなかったのと、声が聞き取れないほど小さかったのを覚えています。
私の地雷を踏まないよう、息を潜めて生きていたのでしょう。
酒を控えてみたらと夫から度々言われていました。
また、2歳の娘の保育園へのお迎え時に、既に酒を摂取してしまっていることが多かったため、それが悩みになっていました。
私は日中家で仕事をしているのですが、主に一人で黙々と取り組む作業が多いため、15:30すぎくらいになると、酒を飲みだしてしまいます。
それが習慣となっていました。
仕事に煮詰まったり、何かストレスを感じるだけではなく、気分がハイな時にもよく調子に乗って飲み過ぎてしまうのです。
私がハイ状態の時は、特に飲み過ぎる傾向にあり、その後の気分の急降下もひどい、というのは夫からもよく指摘を受けていました。
そのため、一ヶ月に1~2回ほど、18:00頃のお迎え時にベロベロになるということがありました。
そんな時にはお迎えの時間が近づいてくるごとに、不安がこみ上げ、夫や実母、友人など、手当たり次第に電話をかけてしまうのです。
これもハイな状態だからしてしまうのだと思います。
あくまでこの時まではふさぎ込んでいないのです。
そして、だんだんと感じます。
「この酔っ払った状態のひどい母親を、お迎え時に顔を合わせる父兄や先生はどう感じるのだろう」
そんなことを考えると、お迎えにいけないと感じます。
お迎えに行ってやれない情けない自分に、また悲しくなって泣きます。
泣きながらお迎えに行くのはさらに異常なので、誰にも見せることができないとなり、さらに追い詰められます。
泣いていたからって、酔っ払っていたって、お迎えにさっさときてもらった方が園にとっては良いに決まっています。
所詮他人事、私がどうだろうと、誰もそこまで気にしていないのだ、そう思えたらいいのですが。
しかし私は思い詰めるともう足が動きません。
「もうお迎えにいけません」
と夫を度々呼びつけ、時には会社をおそらく早退させて、お迎えに行かせていました。
予定を急に崩すのですから、迷惑な話です。
ついに断酒を決意する
そんな背景を抱えながら、先述どおり、私と夫はまた喧嘩をしていました。
というか、一方的に喧嘩をふっかけたのだと思います。覚えていませんが。
セックス レスなどにも悩んでいた私は、自分が大事にされていないのに、子供のことを大切にすることなんてできない、娘のお世話がしんどくて仕方がない。と思っていました。
そんな話をしながら、度々話題にあがる、離婚について、その日も頭をかすめます。
しかし翌朝、来たるX-DAYです。
険悪なまま夫と娘を見送り、ふと思いつきます。
「そうだ、断酒しよう」
別れる決意は大変だ、断酒の方が簡単なのではないかと思ったのです。
早速あの本を購入
思い立ったら即行動です。
こういったときの行動力は早いほうだと自負しています。
私は断酒するならあのシリーズだ、と目星をつけていた書籍がありました。
『禁酒セラピー』アレン・カー(著)
そう、私が禁煙に成功した際に、大いに感化されたあの名著『禁煙セラピー』を書いた著者の禁酒バージョンです。
電子書籍で購入し、数時間で一気に読みました。
『禁酒セラピー』とは一体どういった内容かというと、『禁煙セラピー』同様、
いかに酒が毒であるか、酒にどれだけ自分の生活を捧げているか、辞めることで得るものは多いが、一体何を失うというのか。
といったシンプルな内容です。
既に『禁煙セラピー』でこのロジックにはまっていた私には、もうするすると入ってくるのです。
しかし、これを読んでいる最中にも、私が酒を飲む人という状態は変わっていません。
たばこの時のように、さぁ、やめよう、となるのか? といぶかしく思っていました。
そして、そうなりました。
最後にパック焼酎を原液でグラスに注ぎ、そのままストレートで一気に飲みました。
ひどくまずく、毒だ、毒だと思いながら飲むことで、本当に二度とこのまずい味を忘れるものかと思いました。
今となっては思い出すことも少ない
その日以来、飲んでいません。
たばこの時以上に、私の中では堅い決意がありました。
泣きながらお迎えにいけないと、もう悩まなくて良いのだな、そう思えることも本当に嬉しく感じました。
しかし、これを継続できるのか、酒を飲まないなら一体何をしたら良いのか、謎の戸惑いがあります。
既成事実をつくろうと、早々に友人にも触れて回りました。
「辞めるなんて意志が強い」と断酒をしたことを讃える声には、いや、いやまだ数日なのでと思いました。
「まだ2~3日でしょ。せめて1週間くらい経ってから、酒やめた宣言してよ。」との疑いの声には、見てろよ、と闘士が湧きました。
飲んでないからって堂々と保育園へ通えるという心境の、私自身の闇については、なんの解決にもなっていませんが、まぁ、堂々とすることは良いことでしょう。
1番感じたのは、夫があきらかに嬉しそうだったことです。
これには複雑な気持ちになりましたが、正面から捉えるように心がけ、嬉しいこととしておこうと思います。
ではまた。
たばこを辞めても吸いたくて仕方がないのは、最初だけって噂は本当だ
たばこも酒もやめた今思うと、断酒はやめる時のハードルは高いのですが、やめてから習慣を忘れるまでのスピードは早いように感じます。
一方、たばこはやめてからも2ヶ月ほどは、吸いたいという結構強い衝動にかられる瞬間があったように思います。
また、たばこを吸ってしまったという夢もよく見ました。で、目がさめるとたばこを吸っていないので安心します。
たばこをそこまで吸わなくても良いと思えるまで、どうしていたのか、たばこを吸わなくても良いと思えている今の状況はこんな感じです。
たばこを辞めてすぐは、結構吸いたい
たばこを辞めても吸いたい気持ちはあります。
そのため、私は代用品使って気を紛らわせるようなことがありました。
口が同じ状態に飽きてくると、吸いたい気持ちを思い出すので、マウスウォッシュで頻繁に口をゆすいでいました。
また、”イーグルエナジー” という吸引するタイプのエナジードリンクを吸っていました。
これは、電子タバコの "プルーム・テック" (私は喫煙時これを愛用していた)と大変よく似た形状で、電池が内蔵されたスティック状の電子機器です。
端末をたばこのように吸って吐くと煙が出ます。
フレーバーも色々あり、本当にエナジードリンクのような、カフェイン配合のスッキリと目がさめるような感じがあります。
しかも煙も出るので、たばこを吸っている感覚と満足感があります。
それでいてニコチン、タールなどは配合されていません。
私は『禁煙セラピー』(アラン・カー著)を読むことで禁煙に成功した話を書きましたが、同書を読まれている方はご存知だと思いますが、同書によるとこちらは代用品の使用もオススメしていませんでした。
しかし、たばこを吸ってしまうよりはマシなので、私は代用品を使っていました。
さらに、たばこはやはりニコチンなど依存物質による依存があるため、3ヶ月以上(私の場合)経つと吸いたいという感覚はだいぶ減っていき、"イーグルエナジー" も3本目くらいでは途中で吸うのをやめていました。
吸ってしまいそうになる危機を何度も乗り越えて、最初の一本が全てを台無しにする
たばこを吸ってしまいそうになるようなこともあります。
それは強いストレスを感じた時、ひどく酔っ払っている時などです。
夫と夜中に喧嘩をし、私が酒に酔っているタイミングなどでは、たばこに手を出してしまわなかったのが奇跡と思えるほど吸いたい衝動に駆られることがありました。
しかし、朝酒が切れて冷静になると、再び吸ってしまわなくて本当によかったと思うのです。
以前から禁煙には何度もトライして、失敗したことがあります。
一本に手を出してしまいそうになる時、失敗の経験を思い出します。
こんな風に、いつも同じように強いストレスを感じてやけ酒をしている時だったな。
「あの一本に手を出していなかったら」
ここでたばこを一本吸ってしまうことで、そう後悔するということを酔った頭でも恐ろしく、自制が働いているのです。
たばこを辞めると酒の量が減る
嬉しい発見だったのが、喫煙習慣がなくなると、飲酒量も減っていたように感じます。
たばこと酒の相性は非常に最高で、私の場合は禁煙してから不思議と酒の量が減りました。
たばこを吸いに行く時間がなくなったのだから、口に酒を運ぶ頻度は上がりそうなものですが、おそらく、吸っては飲んで、吸っては飲んでのテンポが何か勢いを加速させるのだと思います。想像ですが。
私はどのくらい飲んでいるのか、家に常備している一升の焼酎パックに、”正の字” で作った水割りのグラス数を記入していたので、これが減ったことは客観的に数値にも表れていました。
とはいえ、泥酔するほど飲む日もありましたが。平均すると毎日の飲酒量は確実に減っていました。
たばこを吸わなくなってメリットと感じたこと
禁煙をしてから感じたメリットはいくつもあります。
むしろ私は、某セラピー効果がまだ残っているので、たばこを吸う意味がないとすら思っています。
禁煙してよかった点としは
・時間ができる
・喫煙中に子どもを待たせなくて済む
・経済的余裕ができる
・肺が痛くない
・肌荒れ、口腔健康、病気など、ヘルス系の不安が軽減される
一服3分として、一日20本は吸っていたので、一日のうち、1時間ほどは純粋にたばこを吸って吐いてする行為に時間を費やしていたことになります。
たばこを買いに行く時間、喫煙所を探す時間、喫煙所までたどり着くのにかかる時間、リセット後、再び元の作業に戻るまでのバッファーも考える、一時間ではきかないと思います。
喫煙習慣があった頃、子供との外出時も当然吸いたくなります。
よくある分離された喫煙ボックスの中でたばこを吸うのに、1歳、2歳の子供を外で待たせて吸っていました。
一度はフィリピンの空港で、喫煙所がガラス張りでなく子供の姿が見えなくなることが不安で、子供を連れて喫煙所に入ろうとしました。
すると、掃除のおばちゃんにめちゃくちゃ怒られ、あわや通報されるところでした。
一番想像しやすいメリットは、経済的なものでしょうか。
私が喫煙時、たばこは1箱490円だったので、490円×30日分=14,700円をそのままそれ以外のことに使えます。
また、外出時などはたばこを吸いたいためにしょっちゅうカフェで休憩をするので、そのたびお金をかけていました。
私の場合は前述したように、アルコールの摂取量にも変化が出ていたので、酒代の節約にも繋がっていたかもしれません。
肺の痛みに関しては、私は毎朝肺や喉が痛いような気がして目覚めていました。
これがたばこを辞めてから改善されたか、正確に記憶していないのですが、そういえば今はそれがぴたりとなくなりました。
もうなんだってたばこを辞めたおかげです。
健康について弊害があることは証明されていますが、そのほかにも色々たばこを吸っているせいじゃないかと心配するということがありました。
肌荒れなどもそのひとつです。
少なくともその心配をたばこのせいでないと思えることで、ひとつ原因を減らせます。
さらなる可能性を秘めた禁煙効果
上記のようなメリットがあるということは、さらに浮いた時間やお金、健康を使って可能にできることがあると考えられます。
たばこによって中断されないということはすごく快適なものです。
仕事を中断することもなく、映画も快適に見られる。
飛行機や新幹線は楽しい空間になりましたし、喫煙者とも非喫煙者とも、共に過ごす時間にストレスはありません。
何より良いのはたばこを吸わないということを意識することもないということなんです。
例えば最近テレビ見てないなと思うと、どんなに時間を奪われていることでも、本当に一切テレビの情報に触れなくて良いのか、世間のゴシップや流行に疎くなってしまうのではないかなどと考えてしまいます。
だけどたばこは違ったんです。
たばこがあった方が良いことが一つも思いつかないのです。
って、断酒の話はどうなった!
つづく
飲んでなくても、週末の子どもの相手はやっぱり辛いよ
2歳10ヶ月の娘は体力もついてきて、土日ともなると一日中相手をするのも本当に一苦労だ。
酒にもたばこにも逃げられないので、子育て中の親達はずっと子供の相手をしているのだろうか。
飲まない、吸わないとなると、逃げる言い訳はトイレに行くくらいではないかと絶望する。
では飲酒、喫煙をしていた頃の私はどうであったかというと、まず子供の相手に度々行き詰まるとたばこを吸いに立っていた。
15:00~15:30頃には酒を飲み始めていたので、子供の相手を真剣にしていない。
いつも辛いので、取り立てて週末が辛いということもなかった。
というか、ほとんどの時間をぼーっとテレビを見ていた。
夫がいれば夫が娘の相手をしてくれていたのだろう。
一方、ここ最近の土日の過ごし方といえば、
7時 夫が子供と起き出す
7時~10時 私が起き出す(私の覚醒はかなり読めない)
それ以降 公園に娘を連れ出す
12時頃 公園から帰ってきて昼ごはん
17時ごろまで 公園か家で何かしら娘の相手
18時前後 晩御飯
19時前後 お風呂
昼寝をしないと20時頃 娘就寝
昼寝をすると22時~23時 娘就寝 それまで娘と遊び
とにかく娘の相手は遊びのバリエーションがままごとなどで、大変つまらないのだ。
公園で遊具や砂場を使っている方が本当にマシ。
しかし娘は比較的屋外遊びより室内遊びが好きなのだ。
また、家族のお出かけや、同世代の子供と遊びの約束を取り付ければ良いようにも思う。
しかし、私は日頃あらかじめ先のスケジュールを立てるのが苦手だ。
思い立ったときに声をかけて遊べる人と遊びたい。
その日になって面倒臭くなって約束を破るのが怖いのもある。
そのため、いざ暇だなというときには大抵予定を入れられないで、ノープランの一日を過ごす。
最近発見したのだが、私も室内遊び好きの子供だった。
娘を見ていると、おままごとのストリーをいくらでも展開させ、道具もないのに、空想でいろんな食材を用意し、しかも楽しそうにそれがしたくて仕方ないという感じで遊んでいるのだ。
彼女が楽しんでいるのだから、これは大変素晴らしい状態なのだと思うのだが、子供の発想のあまりのアバンギャルドさに頭の固い33歳はついていけない。大変辛い。
そこで感じたのは、大人の基準でわかりやすい絵本や正解がわかる運動などをしているときには、娘が自由にする遊びなどより興味が湧いてしまう。
というより、目的不明でいつ終わるかもわからない見立て遊びに付き合っているより、スポーツに取り組む、文字を覚えるなどの何か成果を期待してしまうことの方が、わかりやすくて楽なのだ。
ついつい私も、娘の上記のような大人の基準でルールのわかりやすい遊びに、付き合っているいる時の方が楽だと感じてしまう。
そして、これは極端な例だが、お外遊びが好き、身体を動かすことが好き、文字を書くのが好きなど、より大人が相手をしていて褒めやすいこと、楽しそうに付き合うことができることは、それにはまれる子供も生きやすいのかもしれない。
社会で良いとされることに馴染みやすい子供が、生きやすい子ということになってしまうのではないか。
我が家の話に戻すと、娘の社会的にはその評価をしてあげられにくい見立て遊びの才能については、自分が理解できないからという理由で軽んじてしまってはいけないのだなと感じた。
なので私は我慢しながら娘の作った ”ガラクタ入り闇鍋” を「おいしいね」と頬張る。
歩けば発達障害に当たる
先日、知人女性と、彼女の知り合いのやっているお店に飲みに行った。飲みに行ったといっても飲むわけではないのだけど(禁酒しているので)。
以前から、彼女より自信がADHDだということを聞いていて、その日もそんな話題が出た。また、彼女に渡そうと思って私のおすすめの書籍を持参していた。
ちなみにその本とは以下。
『発達障害を仕事に活かす』星野仁彦(著)は、発達障害に関してかなりわかりやすく、自分の特徴を肯定的に受け止めることもできるため、当事者にとっては面白い。
『母がしんどい』田房永子(著)、ADHDとは関係のない本だが、彼女が以前より自分の自尊心の低さを悩んでいたのを聞いていたので、もし重なるところがあればヒントになるかと思った。単純にマンガエッセイで読みやすい。
『毒になる親 一生苦しむ子供』スーザン・フォワード(著)は、自己肯定感を育めずに大人になった人に、幼少期の困難な環境の影響を示唆し、当てはまる場合には有効な解決方法も提案されている。
『気づきのセラピー―はじめてのゲシュタルト療法』百武 正嗣(著)は、田房永子さんの別のエッセイの中で、ゲシュタルト療法というものに触れられていたことがきっかけで手に取ったもの。ひとつの手法として試してみたくなる。
私自身ADHDだが、それとは別にしても、自分の自尊心の低さに私は度々悩まされてきた。
これは私に限ったことではないし、発達障害の人だけの話ではないので、一般的な話の中にこそたくさんのヒントがあると気がついた。
お店で食事をしていると、彼女の知り合いであるマスターが、自分もいまの話を聞いていて、ぴんとくることがいくつもあると言う。
マスターは自分自身もなんらかの発達障害の傾向がありそうだと以前から思っていたし、自分の妻もその傾向があるのではないかと話していた。
彼自身に関しては、どのような点がそう思い当たるのかということについて突っ込んで聞いてはいない。
その代わり、彼の妻についての悩みを漏らしていた。
マスターの家庭にはお子さんがいるらしいのだが、まだ3歳の娘さんとマスターの妻が毎朝喧嘩をしているというのだ。
まるで20歳の娘に言うように、当然できるはずのことをなぜあなたはできないの? といった調子で声を荒げているのだという。
「なぜこぼすのか」
「なぜ準備ができないのか」
など、子育て中の家庭ならよく出てきそうなワードだが、
その場に居合わせるマスターいわく、異常な問い詰め方だというのだ。
自分はこのまま放っておくのはいけないと思いつつも、仲介に入ると余計彼女の怒りを助長することにもなるため、恐ろしくて存在感を消してしまうというのだ。
この話だけでは発達障害であるという裏ずけには全くならないし、そもそも私は専門家ではないのでわからない。
ただ、マスターの妻の心情、というかその行動は手に取るように想像できた。私は娘にそのベクトルは向いていないが、夫相手にはまさにマスターの妻のそれだ。
私の場合も、娘に対して牙をむくのも時間の問題と思って恐れ、それだけは避けるために日々試行錯誤している。まぁ、夫との喧嘩においても娘には十分恐ろしい思いをさせてしまっているのだが。
私はADHDのような病名などでカテゴライズすることには、メリットもデメリットもあると思うのだが、病名がつくという状況に至る確かに辛いことが、本人なり周囲なりにあるのだ。
そのことに蓋をし、自分をありのままに受け止められないと、生活や人間関係、体調に支障をきたす。
社会から身を守るために、カテゴライズしてしまうことで、自分をはじめてありのままに受け止めることができたりする。私の場合はそうだった。
診断をきっかけに、自分を見つめ、辛さを乗り越える機会を持つことができた。
ふと思うとカウンターを挟んだマスターと私の知人女性、そして私の3人は各々に発達障害、もしくはその可能性を抱えている者達だ。
また、3人いずれもサラリーマンでもなく、時間やルールに縛られた働き方をあまりしていないことに気がつく。
それがどうということはないのだけど。