こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

自分の思ったことをできるだけ思った通りに書けば文章を書くことは楽しいのか

文章を書くことが多く、仕事にもしているのですが、大変時間がかかってしまうことが悩みです。例えば、だいたい3000字くらいの下調べが必要な記事を書くのに、1週間、トータル12時間くらい費やしています。別に何時間かかっても良いのですが、多額のギャラをいただいているわけではなく、時給計算にしてしまうと最低時給は余裕で割ります。そんなことを考えるとモヤモヤはします。

クライアントに感謝されると嬉しいのですが、それまでの産み出す作業がとてつもなく大変に感じます。

それなのに書きたいと思ってしまうので不思議です。

どうして時間がかかってしまうのか

時間がかかってしまう理由は以下だと思います。

  • まず作業に手をつけるのに時間がかかる
  • ネタや下調べに熟考しすぎて書き出せない、または情報を盛り込もうとしすぎ
  • データなど転載に近いものでも、正確に要約しなければとビビって思い切って書けない
  • 何度も推敲に手を加えるうちに余計なミスが発生して修正に手間取る
  • 内容より、自分なりの言い回しや表現に酔って、気に入らないと終わらない

少しでも効率アップするには

少しでも楽に作業に取り組むために、改善策を考えようと思います。しかし、確固たるやり方を決めてしまってもまたよくないと思うのです。臨機応変さがないからこそ、文脈がおかしくなったりすると全て手直ししてしまったりして時間がかかるようなこだわり屋さんです。なので、できるだけ少なく、ルールを決めておこうと思います。

  • 仮のタイトルをつけ、結論を想像しておく。あくまで(仮)
  • 締め切りを必ず確認
  • 下調べ、執筆時間など自分なりに細かい時間の締め切りをつくる
  • 構成からつくる
  • できれば上記までの時点で一度クライアント確認の機会を儲ける

良くも悪くも100点を目指して書こうとする

何かを制作する時、私の場合は大抵上記のような時間や負担の問題に当ります。人に指摘されたことがあります。「あなたは100点を目指しているんだね」「完璧主義なんだね」と。え!? まさか、全然できない自分が完璧主義、100点目指しているなんてとんでもない。ただ、考えてみるとそういうことなんだと思います。自分のリソースを超えない適当な範囲で完成品を提供することができていれば悩まないのでしょう。確かに私は何か作業に取り組む際、これには最適解があるはずだ!完成品はこれ!と想像通りの素晴らしいものが出来上がることをイメージして制作に取り組んでいるように思います。しかし、力量は追いつかず、いつも何らか悩んでいたり、リソースを使い切ってヘトヘトになって疲れてしまうのです。しかし、どんなことにもこのこだわりが発揮されるわけではありません。こだわりたいということは、ある程度興味がある作業だということなのでしょう。

自分の思ったことをできるだけ思った通りに書けば文章を書くことは楽しいのではないかという期待

それでは自分の思いをそのまま書くブログはどうかというと、こちらもやはり時間がかかっています。2時間程度で書くことができれば早い方だなと思っています。私はブログにおいては文章を書くことを自由に楽しみながら、好きでやっていける趣味のようにしたいと思っていました。しかし、そもそも時間を意識している時点で、楽しんでいるのか? と疑問に思う時もあります。自分の思ったことをただ書いていけば良いだけなのですが、ついついこだわりが出てしまうのでしょう。

仕事で書いている時と、プライベートでブログを書いている時、どちらが幸せなのでしょう。

仕事のように、人にも伝わるような論理的な骨組みと結論を用いて書く文章は、人に読んでもらい、達成感や反響が得られる点で喜びも得られます。人に認められる嬉しさだと思います。

一方、自分でブログを書いたりするときには、いかに自分が本心をさらけ出し、記録していけるかということを考えています。読み返すこともなく、ただ蓄積されていくというイメージです。ただただ書くことに没頭し、楽しみたいと思っていました。しかし、まぁ楽しくて仕方がないというほどでもありません。それでも書き上げると何か達成感みたいなものが湧いてくるので、やはりどこかで誰かが読んでくれているという人の目を意識しているのだろうと思います。結局文章を書き上げる喜びが同じところへ行き着きます。

思ったことを思ったように書いて、日記のように綴っていけたら気持ちよく、また時間も浪費したなどと考えずに幸せな執筆ライフをおくれるのでしょうか。

結局そのように文章を書くことができたとして、それはあえて文章にする意味もないということなのかもしれません。