断酒したことを褒められると複雑な気持ちになる
断酒したことについてたびたび褒められることがある。
酒をやめられるなんて意志が強いと。
しかし、意志が強かったらやめなければならないほど酒に溺れたりしないわけで、辞めようと決意なんてするほどの支障も出ないのだ。
酒をやめたことで自分にとってメリットは非常に多かあったとは思う。
保育園に酔っ払ってお迎えに行かなくて済むし、出費も減る。酔っ払って起こした醜態についていろいろと悩まなくて良いし、寝覚が良い。身体の調子もおそらく良い。
しかし必要以上に褒められるとやはり私に何を期待しているのだという気持ちが湧いてくる。
特に夫の態度は変わったと思う。これが気になる。
夫は私が酒をやめたことで私の能力に少し期待をするようになったのだと思う。話をしたら忘れず、響くようになったというようなことを言っている。
常に酔っ払った人というのは社会的にもマイナスのイメージが強いだろうし、私自身、酒を控えられないことには罪悪感があった。特に子育てにおいては何かイメージする母親像との乖離を感じて悩んでいた。それは酒のせいだけではないのだけど。
夫も私が普通の健全な妻に近づくとやはり嬉しいのだなと思った。私は断酒を足枷に感じている。酒を辞めたことで、どんどん私らしさを失っていくような気にもなるし、何も変わっていないとも言える。だから人には大騒ぎしないでもらいたい。
友人からも、私が酒をやめたことを褒められた。以前から私に酒を止めることを勧めていた友人だ。彼女はもともと全然飲まない。
私の娘の様子が、断酒前とは違うということを言われた。酒を辞めたことで何らか娘にも良い影響があったのではないかというのだ。
私も自身子育てにおいて断酒が良かったと思う点はもちろんある。
しかし、娘の行動や機嫌を見ているだけで私の断酒が子供の発育にも良い影響が出ていると言うのは言い過ぎではないかと思った。
ここ最近、新型コロナ対策で夫が時差出勤をしているため、夫と私と娘の3人で夕方以降に過ごせる時間が増えている。
それも娘にとっては生活の良い変化だと思う。
これらいろんな要因が重なって、確かに今は良い状態かもしれない。
良い状況を良いねと言ってもらったのだから、素直に喜べばいいではないか。
しかしながら、私は自分で自分が怖いのだ。
酒をやめたからって、本当に私が安穏な生活を手に入れることなどできるのだろうか。
だって10代の私は酒を常用していなかった。それなのに情緒不安定だった。
今は酒を辞めたばかりの断酒ハイ状態なだけだ。
この目新しさから抜けたときに、さて次は何に溺れればいいのだろうと考えてしまう。