こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

友人の結婚式の余興にて、熱くなりすぎてしまう

私には同じタイミングで上京し、いまだにかなり仲良く交友が続いている高校時代の友人グループがあります。数年前、初めてその中の1人が結婚式を行う際、サプライズで余興ムービーを制作したのですが、その後、結婚するメンバーそれぞれの結婚式で、余興ムービーを制作することが恒例となりました。迫る4月にも、そのうちの1人が結婚式を行う予定なのですが、もちろん、余興ムービーの制作を予定しています。

そこでたびたび、私はもやもや、もっと言ってしまうとストレスを感じてしまいます。めでたいイベントの準備を好きでやっているのに、勝手な話です。

なぜ余興ムービーの制作でストレスを感じるのか

そもそも結婚式って、出し物のあり方やマナーなど、結構それぞれに思いやイメージがあるもので、そこにそれなりにギャップがあるものです。かつ、余興のためにプロダクトを数人で制作するとなると、好みや感性も十人十色。体育会系のなんか派手なことやったるって雰囲気や、わかりやすい感動ものが好きな者もいれば、できるだけ無難にその枠を期待通りにこなす事が重要なのだと考える者もいるでしょう。なので、制作においては、意見が出すぎてまとまらないこともあれば、何も手がついていいない状態で不安に感じることもあるのです。

私は、そのどんな状況にも一喜一憂、ちょっとも堂々としたところがない感じです。極端に不安症である、気になったことが頭から離れなくなるということがストレスを感じやすいということなんですよね。

また、グループで何かプロジェクトを遂行するには、役割とスケジュールの決定が結構重要だと思うのですが、ゆるっとしたLINEのやりとりなどで決められていくムービーの構成や、取り決めのない暗黙の役割分担。そんなとき、私が未定のことについて考えを進めたり、なかなか引き受け手がいない役割を買っでたりすると、大抵はメンバーに喜ばれます。また、私の提案通りに進みます。私は気になる事が出てくると、もう居ても立っても居られない性格なので、出しゃばる? 意見する事がしばしばなのですが、当然時には意見が食い違ったりもします。私は考えの選択肢が大変少なく、こだわりも強いので、他のメンバーが私の考えに異議を唱えたり、別の提案で落とし所を探ろうとしてくれる際、かなり納得できる意見で大賛成できるものでないと大変モヤモヤします。「それはどういう事? ではここはどうするのか」と、発想の段階で詰め寄ってしまったりします。忙しい30代のオトナ女子達ですから、LINEでそこそこやりとりしたくらいでは、話はまとまりませんし、なかなか気軽にも集まれません。

次回、集まる日程を決め、それまでは私のストレスが心にくすぶり持続してしまいます。

こようなストレスが発露を失い、手近な家族に向くことも

私はこのようなストレスを抱えた際、なかなか切り替える事ができず、それに引っ張られて仕事や家庭生活まで上手くまわらない状態になったりします。ひどい時には、これを夫に相談し、話が外れに外れ夫婦喧嘩に発展するようなこともありました。なので、言いたいことを適切にその言いたい相手に向けるようにする。でないとストレスが行き場を失い膨張し、矛先を変え、人を傷つけるようなエネルギーに変換されてしまう。というのは私の中で教訓と戒めとなっています。適切に言いたいことを言いたい相手に発することは、断る際などにも重要で、このようなアサーティブなコミュニケーションを私が心がけることで、娘にも適切なコミュニケーションを知ってもらえるのだろうと考えています。

話は外れましたが、4月の結婚式の友人に向けた、今回の余興ムービーの件でも、昨日から今日にかけて、私発端のまとまらない議論に発展している最中です。どうもトンネルを抜けられずにいると感じ、ふと夫に、あくまでも冷静に相談してみました。

気にしいの私に向けた夫からのアドバイス

現在話し合いがまとまらず、締め切りまでにもそう時間的な余裕があるとは思えない状況です。皆忙しい中、決まっていない事が多くあるのが私としては不安です。その割に、他のメンバーはどちらかというと楽観的に捉えているように私には感じられ、かといって、私に任せてというような者はおらず、大丈夫なんだろうかと私は不安になるのです。そのため、私は突然思い立った勝手なタイミングで、何かと発言し、かき乱し、出しゃばり、他のメンバーには「あ〜またこひがしが一人でテンパっているな」と困らせていると思います。私の気持ちを治めるために話に付き合わせている感じです。というような内容を夫に相談したところ、夫は私のこのような状況を聞き、私の特徴を踏まえて対策についてアドバイスをくれました。

  • スケジュールを決める
  • 役割を決める
  • 上記2点を決めたなら、自分が全てを掌握しようと考えをひねり出さない

上記3つです。夫いわく、私は恐らく人より不安を感じやすいだろう、そのため、物事の不安要素に気がつくのも人より早い可能性がある。なので、人にも動いてもらう必要があるプロジェクトの場合には、ひとりで必要以上に焦りを感じている可能性がある。とはいえ、気になってしまうだろうから、不安を解消するためには、自分が何か打開策をひねり出さなければと考えるより、いつまでに決めるかなどのスケジュールの大枠を決める事が大事なのではないかという事です。まずは集まる機会が持てるなら、それを決めてしまったら良いのではないかと言われ、確かに少し合点がいきました。仕事など、何事においてもそうなのですが、私は、アイデアや発想はぽんぽん湧き、割と点でこれだと思ったことは行動も早いのですが、色々手をつけた挙句、アウトラインがわからなくなって回収できなくなる。という事が何事にも多くあります。

例えば、ブログを書くときにも、プロットを作ってから書き出すということをついつい怠り、思いをガーッと書き始めてあとでまとまらず、投稿できないなんてことも多くあります...。

スケジュールをかため、優先順位を決めて、リソースに合わせた可能なことを話し合いで決めていくという事で気持ちの焦りを軽減できる気がしてきました。また、これは私の考えもありますが、役割分担も場合によっては明確に決めてしまう事で、私は大変心が穏やかになります。しかし、役割分担に関しては、一旦決めると担当者任せになりがちで、内容が深くなっていかない、盲点となって忘れてしまう事項が生まれるなどの弊害もあります。そのため、分担や明確なリーダーを決めないほうが良いという考えの人も多くいるように思います。無理強いは禁物ですね。

余談、子持ち女子と独身女子のオンラインミーティングの最適時間が難しい

なので今回はとりあえず数日後に、オンラインミーティングを行うことにしました。これにも一悶着。私、最近2歳の娘がいる前で電話やビデオチャットなど行う事がなかなか難しくなってきました。お話大好き、ガジェット大好きな2歳児に、あっという間にスマホを取り上げられてしまいます。PCでも同様。会話に入りたがり、無視するとすねます。なので、基本的には娘のいない平日日中か、土日で夫が相手をしてくれているとき、「こひがしお仕事するから〜」と言い聞かせて。もしくは、夜娘が寝静まってから。しかしこれも数人で時間を決めてスタートするとなると、確実にお約束できるのは23時ごろでしょうか。うちの子どもはとにかく寝ない(涙)。一方独身女友達はというと、土日は何かと予定があってお忙しい。平日の日中は会社。夜も日によっては彼氏と過ごしているという事。

結局今回は平日の20:00スタートということになりました。私は夫に娘を見ていてもらい、念には念を、近所のファミレス(wi-fi完備)に行って話そうかと思っています。余談でした。

何より友人がよろこんでくれればいい

それでも私がいつもこの恒例のプロジェクトに参加してしまうのは、友人の喜ぶ顔が見たいからです。私の自己満で終わってしまわないように、やり遂げなければなりません。友人のためにしていることです。学生以来、こんな学祭的ノリで、お金の絡まない制作活動やイベントに参加することはほとんどありません。式が終わるといつも、久しく味わったことのない達成感に包まれ、本当に幸せになってくれと願うのです。

そしてこんなに面倒臭い私に、制作のたびにいつも声をかけて頼ってくれる友人達をありがたい存在だと感じています。まあ、声をかけておかなければあとでとても面倒臭いことになるとわかっているのでしょう。

新型コロナ対策、夫の時差出勤のおかげで夫婦円満に

新型コロナウイルスの流行で、3週間ほど前から夫の勤務先が時差出勤になっています。夫は朝7:00ごろ家を出て、帰りに娘の保育園にお迎えに行き、18:45ごろには帰宅、3人で夕飯を食べるという生活がここ最近続いています。夕食以降の予定を家族3人で過ごせるということ、これが私の心の安定に大変大きな影響を与えています。単純に嬉しい。

夫の時差出勤が始まるまでの生活はというと

私は娘のお世話の大抵のことが面倒臭いと思うのですが、特に保育園の送迎や、夕方以降のお風呂、歯磨き、寝かしつけあたりは本当に苦痛でした。そのため、保育園の送迎を夫婦どちらが行うかということでは度々議論となります。夫の勤務先では、通常始業時間が固定のため、保育園の送りをになった場合、娘の準備や保育園行きたくない攻撃に手こずらされたりすると、会社に遅刻してしまいます。これは何かとストレスとなるでしょう。お迎えの場合は、夫が勤務先の定時に退社したとしても、娘のお迎えに行く頃には保育園の延長を最大使って間に合うかどうかというところです。

そうなると、仕事の時間が固定ではないフリーランスの私の方が、圧倒的に時間的融通がきき、送迎に安定して行けるということになってしまいます。そのため私が送迎のメインでした。

娘の成長の度合いによって、保育園にすんなり行ってくれる時期と、駄々をこねて行きたがらない時期を繰り返しています。

つい数ヶ月前、朝のイヤイヤが特に激しい時期があり、そのころは私が送りも担っていました。そもそも支度が進まず、家も出られずに9:00、10:00となり保育園に遅刻することもしばしば。先生には怒られ、私は仕事を開始できずに悩んでいました。時を同じくして夫が原因不明の顔面神経麻痺に。夫は生活を見直すことになり、大変ストレスの多い朝の電車のラッシュをさけて通勤することになりました。こうして今度は、朝の娘の送りを夫婦2人で手厚くやってみました。慣れてくると、夫が一人で送ってくれるようになり、そのおかげで私もお迎えは頑張ろうと、多少はモチベーションを保てた時期もありました。しかし、お迎えはどんなときも行かなければならないし、夕方以降の娘とふたりきりの時間の心細さは変わりませんでした。 

保育園のお迎えから、夕方ワンオペ育児の負担をなんとかしたかった

保育園のお迎えの時間が近ずくにつれ、私はだんだん不安になります。話は少し外れますが、私は1ヶ月ほど前から断酒をしています。断酒より以前、私は保育園のお迎えの少し前、15:30〜16:00ごろには度々酒を飲みはじめながら仕事をするという生活を送っていました。そうすると、17時ごろには酔っ払いに。お迎えに行くのが大変億劫になります。飲んだらお迎えに行けなくなる、そう思えば思うほど、なぜか飲みたい気持ちが強くなるという具合でした。実際に、お迎えに行けないと感じ、夫に代わりに迎えに行って欲しいと仕事を切り上げさせ、急にお迎えを変わらせたことも数回ではききません。

ベロベロの姿でお迎えに行くのが怖い、先生や他の保護者に酔っ払った姿をどう思われるか、色々と考えをめぐらせ涙が溢れ、泣いた姿を見せたくなくて結局お迎えには行けない、となるのです。

また、夕方以降のワンオペ育児が最大の悩みです。できるだけ、娘とふたりきりになる時間を減らせるよう、夫婦で対策を考えていました。実家に身を寄せる(あくまで私自身の)という案も度々検討しています。実母がいる環境であれば、ひとりで娘と過ごす時間がほどんどなくなります。また、こちらは極端な話ですが、実家とは別の第三の地域への移住。移住先の条件は、夫の職場と家をできるだけ近くにでき、通勤時間を減らせるような土地であることです。そうすることで、定時に仕事を終わらせ、すぐに帰宅、夕食を3人でとれるような生活を作ることができるだろうというものです。現在夫の職場は東京の中心部なので、職場の近くに住居を持つということが経済的に厳しいのです。そんなことを色々考えるのですが、どの案も、デメリットまで考えると踏み出せませんでした。

仕事選びに保育園の送迎をどこまで考慮するか、夫との価値観の違いによる不公平感

夫がフレックスや、17:00定時などの仕事に転職すれば良いのかもしれません。しかし、転職となると、この条件で理想の転職が叶うのか、現実的には難しいところでしょう。私自身、保育園の送迎を行うため、勤務先選びに勤務時間の融通がきくか否かを重視していました。しかし、多くの求人要件はフルタイム、勤務時間固定です。さらに終業時間は早くて18:00、遅いと19:00。仕事の多い都心で勤務先を見つけようとすると、お迎えがかなり遅くなるか、閉園時間に毎日駆け込みという感じでしょう。入社初年度からの時短勤務を認めていない会社も多くあります。保育園じを抱える親の再就職はそう簡単ではないのです。私と夫はほぼ同時期に就職活動をしています。私の出産後、娘が生後9ヶ月頃のことです。私は就職活動には大変苦戦をし、職についても転職を繰り返し、決まった雇用や正社員などの企業勤めには少し限界を感じていました。そのため、現在はフリーランスなのですが。夫も、当初はフレックス勤務や、いざとなったらお迎えに行ける早い時間の定時の会社、残業のない職を探していました。しかし、結局最終的に決めた仕事はフレックス勤務ではなく、定時もお迎えにちょくちょく行くには遅めの終業時間の仕事でした。やはり、男だろうと女だろうと、自由な勤務体系、それも子育て優先のかなり柔軟な働き方を希望するとなると、現実的には難しいのです。

私は、夫が子どもの送迎を完全に私主体にしなければ仕事ができない職を選んだことに、かなり不公平感を感じていました。私にはお迎えを見込まない勤務体系など、はなから選択肢にすら入れられないと感じていたからです。同じ立場なのに、フルタイムで、出勤時間も固定の仕事をすんなり決めた夫に、「ずるい」という気持ちをずっと持っていました。なので、このことは喧嘩になると度々私が夫を責める材料として掘り起こされます。

そんな中始まった時差出勤、これが終わると考えると怖い

これまで、子どもの保育園の送りかお迎えのどちらかは夫が担うべきだ、とか、送りの方が辛いなど、よくわからない理屈で攻防を繰り返してきた保育園送迎問題。私が何を求めているのか、どうすれば平等なのか、どうあれば家族は幸せなのか。もうよくわからなくなっていたときです。新型コロナウイルスが流行し、全く意図せず夫の時差出勤による前述のような生活が始まったのです。現在は私が娘の送りを担っています。夫が7:00ごろ家を出て以降、8:40分ごろに私と娘が家を出るまでの1時間40分はふたりの時間ですが、なぜか今は登園拒否がさほど強い時期ではないようで、比較的すんなりと支度し、毎日決まった時間に出発できています。そのため、私はそれほどこの時間が苦ではありません。また、夕方までお迎えの時間を気にすることなく、過ごせることは大変ストレスフリーです。夫と娘が帰る頃には仕事を終え、娘が帰ってくると玄関で抱きしめ、お迎えに行っていた頃より会えるのが嬉しく感じます。そのまま夫が娘に手を洗わせたりしている間に、私は食事の支度を落ち着いてでき、3人で団欒。大人がひとりいることで、お風呂も歯磨きも寝かしつけも、お世話の段取りが大変楽でスムーズです。

 

夫の時差出勤がいつまで続くのか、目処はたっていないようです。この生活がなくなり、また夕方育児のワンオペ生活が戻ってくると思うと、怖いです。

夫の会社の時差出勤は出勤時間を7:00〜11:00までの間でそれぞれが決められるもので、事前の報告の必要も特になく、ほぼフレックス勤務に近い状態と言えると思います。新型コロナウイルスの終息までの間、期間限定で行われる対策的措置なのですが、これにメリットを感じている他の社員の方も多いのではないかと思います。夫は、時差出勤が始まる直前まで、顔面麻痺の配慮として直属の上長との間で特例時差出勤が認められていたのですが、どこか肩身が狭かったと言います。直属の上長も、新型コロナによる時差出勤が始まると、「こひがし男くん、これまでこそこそ調整しなければならなかった勤務時間を、堂々と時差出勤できるようになってよかったね」と、嫌味ではなく励ますつもりで言ってくれたようなんですが。言われて夫はヒリヒリしたのだとか。

 

しかし、これで業績が下がるなどトラブルがなく、一定の社員から希望があれば、フレックス勤務などの柔軟な勤務形態が導入されてもよさそうなものです。

不謹慎ではありますが、新型コロナの影響で私の理想の平日の過ごし方が明らかになったというお話でした。

幸せをたくさん感じて生きるためには

幸せになりたいと思います。誰でもそうでしょうが。

私は度々落ち込んだり、泣いたり、荒れたり、呑んだくれたり(現在は断酒しました)、怒ったりしながら生きています。それが辛いのでやめようと思い、幸せになるためにこの記事を書いています。

どのようなことが今辛いのか

現在の辛さは主に以下です。

  1. 子どものことより自分を優先してしまう→これによって子どもの成長に何かとんでもない悪影響を与えてしまうのではないかと不安

  2. 傷つきやすい性格であるため、なかなか気持ちの切り替えができない

  3. 夫との喧嘩

  4. 没頭できる仕事がない

  5. 没頭できること(趣味など)がない

  6. 毎日をやり過ごす、消化する日々

どのような状態になったら楽しい、幸せと感じるのか

どのようなことが辛いと感じているか箇条書きにしてみる事で、そうでない状態であったらどうかと考えると、幸せだったり、楽しそうだったりしそうだと感じました。

  1. 子どもに夢中、子どもと遊んだり世話したりなどしたくて仕方がない状態になる 

  2. 傷ついて落ち込む時間を短くする、コントロールが効く、もしくはそのエネルギーを健全な場に発散できる習慣ができて、傷つくことをそれほど恐れない状態になる。もはや傷つくこともゲーム感覚

  3. 夫婦で趣味や夢をもつ

  4. 没頭できる仕事をする、仕事に携わる日々が幸せという状態

  5. 人生の楽しみとなるような趣味をもつ

  6. 明日が楽しみで仕方ない、今日は何をしようとワクワクする状態

幸せになるために、現在取り組んでいること

幸せになるための目標のために、少しづつではありますが、現在取り組んでいる事と、もっとこうなったら良いという状態? をあげてみました。

 

1.子どもに夢中、子どもと遊んだり世話したりなどしたくて仕方がない状態になるについて

取り組み:断酒、禁煙

子どもを夢中で相手できない理由の一つに、私が子どもの相手よりも優先したい、私自身のしたいことがあるからだと思います。その代表的なもので毎日多くの時間を費やしていたのが、飲酒と喫煙でした。これを一切断つことにしました。断酒、禁煙は、きっかけとしては子どものために行ったものではありませんでしたが、結果的には子どもの相手をするのが前より苦痛ではなくなった気がします。

当然ですが、何かをしていたことをしなくなったので、子どもの相手をする時間ができた、暇になったと言えます。子どもを邪魔だと感じる機会が減りました。一服したいときに、「ちょっと待っていてね」と子どもを待たせていましたので、子どもの相手より一服を優先する瞬間が確かにありました。その瞬間は、子どもが「かまって」「遊んで」と引き止めようとすると、邪魔だなと感じていました。お酒も同様に、飲み始めると、息をするように酒の入ったコップを口に運んでいたため、ごっこ遊びや、体を使った遊びをねだられると、飲めないので子どもの相手をするのが面倒臭いと感じていました。

また、晩酌を中断したくないので、お風呂に入れたり、一緒に寝室に行って寝かしつけを行うなどの必要なお世話も億劫です。お世話は今でも面倒だと感じるのですが、断酒してからは苦痛と感じる程度が軽くなったように感じます。むしろ子どもを早く寝かせたいのでさっさとやってしまおうというモチベーションに変化しました。 

さらに、子どもにかける時間の長さと質のアップにより、なぜか子どもの相手が少しずつ楽しくなってきました。これには、断酒の効果をかなり実感しています。酔っていないと、子どもの話が耳に入ってくるようになりますし、子どもの相手をしていてもそれほど疲れません。もともと暇なので、こうなると子どもの相手を真剣にしていた方がちょっと暇が潰れて楽しいとすら感じる瞬間も出てきました。不思議です。

 

取り組み:精神のクリニックへの通院

子育てには、様々なスキルが必要で、特に、育児と家事を並行して行う際が多く、常にマルチタスクになりがちです。物事に優先順位をつけ、処理していく作業が苦手な私は、そのたびにパニックになっていました。1年ほど前、夫に暴力をふるい、このままでは子どもも傷つけてしまうと感じ、夫に連れられる形でクリニックに行きました。数件目に訪れたクリニックで、数回めの診療の際に、ADHD双極性障害と診断され、現在、治療としては、服薬(コンサータ)をしています。これにより物事を俯瞰できるようになっている気がします。そうすると、選択肢が少し増える感覚で、大人の他者以上に思い通りにいかない子どもの言動にも、少し対応する余裕が生まれています。仕事や対人のストレスも、俯瞰する手法で減っていると考えると、子どもや夫にストレスが発露する機会が減っているのかもしれません。

 

取り組み:カウンセリング

私の通っているカウンセリングは、幼少期の記憶などを話しながら、ワークをしていくものです。ワークの内容は、私の記憶を元に、傷ついた小さな頃のこひがしを、大きくなった今のこひがしが癒すというもの。ものすごくスピリチュアルなことを言っているようですが、深層心理に働きかける試みの一つらしいです。

人が現状に何か違和感を感じたり、生活に支障をきたすような問題を抱えていたとします。その元凶には、自覚がなくても蓋をしてしまった過去の報われない思いやトラウマが関係している可能性があるそうです。蓋をすることで行き場のなくなった思いをもう一度蓋を開け、癒してあげることで、現在の違和感や問題が無くなることがあるんですって。不思議ですよね。

カウンセラーさんいわく、私が子どもを上手く可愛いがることのできない件もまた、幼少期に蓋をした思いに原因があるのではないかというのです。私の話から想像するに、私は幼少期、子どもらしくわがままを言ったり、無邪気に振る舞うことがいけないことだと感じていたのではないかと。その封印された行き場のない鬱屈を抱えて大人になった私の中には、今だに傷ついたままの小さなこひがしがいます。そのため、今駄々をこねたり、泣いたり、子どもらしく無邪気に振る舞う我が娘を、可愛いと感じる余裕が持てないのだとか。

ワークにより、小さなこひがしの気持ちを受け止め、肯定してやることで、現在の私(こひがし)の気持ちも安定し、娘の感情を受け止めてやる余裕が生まれるらしいのです。複雑な話でちょっと俄かには信じがたいのですが。しかし、不思議なことに、言われるままにカウンセリングとワークを受けること数回、これまでなら怒っていたな、とか泣いていたなと感じるシーンで、心が穏やかだぞ、という場面が度々ありました。ハマれば、結構効果を感じられるのがカウンセリングなのだと感じています。

 

2.傷ついて落ち込む時間を短くする、コントロールが効く、もしくはそのエネルギーを健全な場に発散できる習慣ができて、傷つくことをそれほど恐れない状態になるについて

取り組み:クリニック、カウンセリング、アサーション

こちらもクリニックカウンセリングアサーション(自分の気持ちや意見を、相手の気持ちも尊重しながら、誠実に、率直に、そして対等に表現できるコミュニケーション。書籍で学び、心がけています)などを行いながら、やはり幸せと感じる時間を増やすことが最も有効なのではないかと思います。

 

3.夫婦で趣味や夢をもつについて

取り組み:特になし(私自身の趣味、夢をまず見つける)

夫婦の良い状態の具体的なイメージには、喧嘩をしない、定期的にセックスをする、私がモラハラやDVをやめる、と色々考えることはあるのですが、共通の趣味や夢があると良いのではないかと考えています。これは、まだわかりません。話し合う時間も必要かもしれませんし、私がまず一人で楽しいことを見つけてから、誘っても良いでしょう。そもそも自分自身で強く思う夢がなければ、パートナーと一緒にという想像もわきませんよね。

 

4.没頭できる仕事をする、仕事に携わる日々が幸せという状態について

取り組み:フロー体験について書かれた書籍を読む

私は傷つきやすい性質上、自信があまりなく、ストレスも感じやすいです。それゆえ、ついつい人の意見や評価に心が乱されます。なので、できるだけ、自分の意思や判断で作業を進行でき、その作業が楽しくて、ついついやってしまうという状態の事柄を仕事にしたいと思っています。

『フロー体験喜びの現象学』(M.チクセントミハイ著)という本を読み、この考えがさらに強くなりました。フロー体験とは、自らにとってちょうど良い難易度のことを、常にフィードバックがありながら、時には寝食を忘れるほどに集中し、自ら進んで継続する状態の体験だそうです。こういった状態にあるとき、人は幸福なのだとか。これを、仕事に当てはめると、実力を十分に発揮できて自信になり、そもそも仕事をしている毎日が幸福であるということになりそうですよね。と、書籍に影響されやすいので、今はこちらの考えにどハマりしています。

私は現在の仕事でも、ちょっとした家事でも、その行動の何か一点では時間が経つのも忘れ、他人の声や雑音も耳に入らないような状態に没入することが度々あります。確かにこうした状態の時には、体が何か内なるものに突き動かされているかのように自動操縦で動いてしまいますし、自分なりのこだわりを持ちながら創意工夫を進んでしています。仕事にはそのような時間を意識的に多くすることが大切なのではないかと考え始めています。

 

5.人生の楽しみとなるような趣味をもつについて

取り組み:友人へのリサーチ

仕事でも、趣味でもなんでも良いのだと思いますが、私は楽しいことや好きなこと、したいことがあまり思い浮かばないのです。なので、楽しいこと探しにアンテナを張ろうと思い始めたところです。これには、じっと家でネット検索していても無駄なのかもしれません。習い事の体験会に通って色々試してみたり、セミナーなどに出かけてみてもいいかもしれません。今できていることといえば、友人に楽しいことを尋ね、参考にさせてもらうくらいです。

また、健康な精神には身体を動かすことも良いと言われていますよね。適度に身体を動かすことができる趣味で、楽しいと感じるものに出会えると一番良いなと感じています。 

 

6.明日が楽しみで仕方ない、今日は何をしようとワクワクする日々を手に入れるについて

取り組み:現在は特になし

上記を手にすることができたなら、きっと忙しく充実した毎日だろうと思います。明日は何をしようと心踊らせる日々は、幸福の連続になるのでしょう。楽しみだ。 

最終的に、娘に私みたいになって欲しくはない

幸せを感じたい、今のままではダメだと強く思いはじめたのはここ最近です。娘を育てるということがどうも難しく、そのことで夫にあたり散らし、夫との関係も悪化、仕事も転職を繰り返し、今はできるだけ人と接することの少ない仕事をフリーランスで請け負っています。これも行き着いた先の、理想の今であるというわけではなく、現状が良いのか悪いのかもわからないといった感じです。また、フリーであろうが、会社員であろうが、悩みの質はだいたい一緒です。仕事関係の方々との対人関係や、作業自体なかなかコツをつかめず、コミュニケーション不足で不全感を抱えます。

そもそも娘の子育てで実感した上手く行かないという状態は、育児や出産のせいで、私の人生が悪循環になったわけではなく、本来の自分を知るきっかけだったのだと思います。

出産前から、仕事や対人関係、家族関係で抱えていた問題があり、それを解決したり、克服したりできないままでいたのだと思います。そもそも、仕事や対人関係、家族関係を自分なりの方法で問題解決し、強く生きられている人は、育児においても、投げ出したり、自暴自棄になっていじけたり、なんて方法は取らないのだと思います。

自分一人生きていくのも必死だった私が、制御不能な小さな人間の管理までして、これまでできなかったことを上手く回せるはずがないのです。

ただ、これに気がつけたのは大変良いことでした。

私の一番の問題は、自分を知らなかったこと、知ろうとしなかったこと、そして長所や短所を深く自覚できていなかったため、そんな自分を本当には受け止めて生きてこなかったことです。どんな自分も良いと思ってないのです。

こうなると、一つ一つの失敗は大変きつく、自信のない自分の人生を毎日生きる事は大変辛い事です。

 

今ようやく酔っ払っていない目で、娘を見つめると、どんな人になって欲しい、どんな風に感じて欲しいと色々思うようになってきました。どれも幸せになって欲しいと思うことからくるのもです。

それを教えるのってどうしたら良いのだろうと真剣に考え始めました。シラフの頭で。

まだよくわからないので、私自信の人生で試してみなければいけないと思います。

私が幸せの感じ方を教えてあげなければならないのです。

セックスレスを解決するには、不倫するか、人生からセックスをなくすか?

結婚して3年が経つ我が夫婦の悩みのひとつはセックスレスです。

ここ一年は夫婦間にセックスはありません。

私はセックスしたいのですが、夫はしたくないと感じていると言っています。不倫や離婚につても話しています。夫は不倫はしたくないが、私とのセックスができないので私が他でセックスしたいと感じていても仕方がないと思っているそうです。しかし、不倫OKです!というよりは、どちらかが不倫を希望している関係なら、離婚も視野に入れたほうが良いと感じているそうです。

セックスを望んでいる私は、夫婦の間に再び幸せなセックスライフが訪れることを一番に願っていました。

しかし、これまで酒やタバコ、男性などに依存しがちな私がセックスにも依存しているのだとしたら。夫婦の不破、喧嘩やモラハラ、暴力にまで発展し、夫に恐怖を与えているのですから、もはや立派な依存といっても良いのかもしれませんね。

とすれば、解決策はセックスをすることではなく、セックスを一生しないことにあるのではないかと考え始めたのです。

 

結婚前から私は別の男性とセックスレスを経験している

とはいえ、私の場合セックスレスに悩んだのは今の夫が初めてではありません。歴代の元彼2名ともセックスレスに悩み、かつその状況は現在と同様、私がしたいのに、相手はしたがらない。という具合です。

セックスを断られることで女性としての自信を失くしたり、パートナーが自分のことを愛していないんだと傷ついたりしていました。

そのことでパートナーを責めることも度々。「どうしてセックスできないのか」「私のことを好きじゃなくなったのか」と。時には泣き喚くほどに。そうすると関係は余計悪くなります。

 

私の責めが原因でセックスレスになっていると考えるとしっくりきます。セックスは相手が必要なので、やはり相手の都合や気持ちを想像して、協力して行わなければ行えません。私ばかりが私のペースを押し付け、それが受け入れられない時には怒るのでは、コミュニケーションではありません。

 

私はしたいのに、夫はしたくない理由

夫は私とセックスをしたくない、むしろ体が拒否しているというような状況のようです。

その大きな原因の一つであると夫が述べるのは、私によるDV、モラハラです。

現在2歳10ヶ月の子どもの妊娠中から、私の夫への攻撃がはじまりました。そこは私にも自覚があり、現在も抱えている私の大きな問題です。この話は改めて別の機会にさせていただきます。

なので、夫の言い分としては、度々自分を攻撃してくる妻、エスカレートすると我を忘れて殴る蹴るの暴行まではたらく妻を抱けない。....ごもっともです。

加えて自分(夫)のことを好きなのか、愛しているのかも疑わしいので、セックスだけ必死で求めてくる私のモラルを疑ってしまうし、自分(夫)も傷ついていると言うのです。

 

非常に正当なセックス拒否の理由であるかのように感じる、私による夫へのモラハラ、DVは妊娠後に始まったものです。しかし、セックスレス気味だと自覚し始め、そのことが度々ふたりの間で会話にのぼるようになったのは、付き合い始めて2年ほど、妊娠が発覚するより以前からなのです。

これは私の想像ですが、本当のところは飽きやマンネリもあるでしょう。

私もそうだからわかります。しかし、そこまでしたくないと感じているにも関わらず、私の場合はセックスを熱望する執着は健在。夫の気持ちを思いやる姿勢を見せるどころか、私を拒否している!と一方的に責めてしまうのです。

こうして夫や、結婚する以前付き合っていた男性達に、徐々に私とのセックスに対する負のイメージを与えてしまったのかもしれません。

 

妊娠・出産前、セックスを拒まれる際に夫はこのようなことを言っていました。「疲れているから」「身体だけを求めてこられているようで少々引いてしまう(正確な言い回しではありませんが、このような内容だったと記憶しています)」

 

セックスへの互いの歩み寄りの現状

セックスレスの大きな原因でもあり、それ以前に私自身の闇でもあるモラハラやDVをやめるため、私は、カウンセリングや心療内科へ通っています。そのほか様々な書籍や、ブログなどを参考にしたり、断酒など自分をコントロールしやすい状態を作る施策を行なっています。

カウンセリングは夫にも度々行くよう頼んでいます。しばらくは金銭的なことも理由に、優先度は高くないと言って消極的でした。これに対しても私は腹を立てていました。ようやく最近、夫は夫で、自らも人生にセックスがあった方が良い。夫婦にはコミュニケーションとしてセックスがあった方が良い。と、考えたようで、カウンセリングに通おうとしているようです。私や家族の平穏な暮らしのために悩んだ末、藁をも掴む思いでということかもしれません。

 

私はセックス依存症なのでは

セックスレスを解決しようとして、つまり夫婦間でセックスをしようとして現在お互いが試行錯誤しています。

しかし、私がもしセックスに歪んだ嗜癖を持っているせいで、セックスというコミュニケーションがいつもうまくいかないのだとしたら。セックスがなくても、セックスがあればあったで常に満たされない気持ちになるのだとしたら。

セックスをしないという選択をすることで、ありもしないものに悩む必要がそもそもなくなるのではないかと考えるようにもなりました。

セックス依存症という言葉は安易に使ってはいけないのかもしれませんが、私は常に様々な物、事、人に依存傾向です。男、セックス、酒、タバコ。最近、禁煙や断酒を試みています。解決策は一生一服も、一滴も摂取しないという方法です。人生からそのものを一切断つということで、ようやく依存をやめることができました。

というか、コントロールできないので、そうするしか方法がわかりませんでした。

今の所、ひとたびコントロールするのが難しくなった依存対象を、控えたり、ちょうど良い加減にキープするという方法を見つけることができていないのです。

 

セックスレスに関しても同様に、ないことに悩んでいるのですが、回数の問題ではなく、人生にセックスはあるものだと思っているから、適度に、とか相手を慮ってなんてことが私には難しいことなのかもしれません。

 

不倫も選択肢の一つか

また、倫理的な問題は一旦置いておくとして、私が他の男性とセックスすれば良いのではないかとも感じます。しかしその場合、私は他の男性に精神的にのめり込み、その別の男性に依存するということになるのかもしれません。そうなると家庭も壊れかねません。また、どんどんセックスに応じてくれる相手を探し、本格的にセックスという行為にのみ孤独を埋める活路を見出すようになるかもしれません。そうなると、生活や健康が心配です。なので、私は今のとこと不倫をする勇気がないのでできていないという感じです。

夫は私と夫婦であるなら、一対一のつがいの関係を守りたいと考えています。また、前述のように、不倫するなら離婚も視野に入れたほうがいいという考えを持っています。これまで夫が不倫していたか、不倫しているから私とセックスしないのかなどは、考察の余地がないので、考えても仕方のない話です。

 

セックスレス夫婦は依存を断つには最高の関係なのではないか

酒やタバコと同様に、私がセックスに依存せず、生活や精神を支配されずにすむ方法は、セックスを一生断つしかないのかもしれません。

その場合、夫婦は何を目指すのか。以前、夫はセックスはなければないで良いと思っていると漏らしていた時もありました。

であれば、婚姻関係のある夫という男性は禁欲にはうってつけの足枷です。セックスをしないと決める事で、私たち夫婦はセックスレスの辛さから解放されるのかもしれません。

もちろん、ここで夫が人生からセックスをなくす決断をする必要はないのですが。

寝ない子供にイライラする

時計を見ると22:59。

2歳10ヶ月の娘を寝かしつけるために電気を消して寝室に入ったのが9:00ごろだったから、2時間ほどが経過したということだ。

寝ない娘に毎日毎日イライラしてしまう。

 

まずは家全体を間接照明のみの灯にして薄暗くする。

その後寝室のライトだけを着けて絵本の読み聞かせ。

今日は以前買った、ベビーブックという"アンパンマン"や"わんわん"が出てくる幼児向け雑誌を何度も何度も読む。私は好きな本ではないけど、娘のリクエスト。一向に飽きる気配のない娘に、私は繰り返し読み続ける。流石にこちらが根負けして「寝るよ〜」と読み聞かせ終了の合図。

最初は割と大人しく横になり、私にまとわりつきながらじーっとしていた。

ところが数分後、独り言のようなものから「こひがし起きて〜」とかまってかまってが始まる。

はじめは優しくいなすも、だんだんとイライラが募り、私から「もう起きてようか」と寝かしつけを断念。私のイライラを沈めることを優先することに。

10:00ごろ 私は自分が読みたい本を読んで開き直ることに。もう何時間でも起きていてくれていいよ〜という感じ。

その横で娘は私に話しかけたり、かまって欲しくて私の読んでいる本を乱暴にめくって邪魔したりしてくる。ちょっときつく「やめて!」と言い聞かせると、泣いてしまった。

ぎゅーっとして落ち着かせていると、やっぱり早く寝かせることができれば...。こんなイライラを見せる機会も減るのに...。とまた気持ちが落ちる。

10:30ごろ 娘にせがまれ、再び娘の絵本を読む→私が「もう寝るよ〜」と言う→娘がいじけて泣く→私が娘をぎゅーっと抱きしめ慰める。という一連の流れを数週繰り返したのち、23:00頃、ようやく就寝。

 

今晩は泣き疲れたおかげで寝付くことができたのかもしれない。

 

娘がなかなか寝ないという悩みは生後間もなくからずーっと感じている気がする。

ねんねトレーニングの本や、ブログ、友人、知人の経験を参考にしても全く解決されることない日々を繰り返して2年以上。

うちの娘は他の家の子供と同じではないし、比較しているからこそ私は悩んでいるんだと思う。私も子供の頃から寝つきが悪く、大人になった今でもそれは変わっていない。これも遺伝なんだと思うと余計にイライラしてしまう。

 

娘の成長に影響があるかもしれないとか、睡眠障害の可能性など、娘のことが心配でという悩みであるとも言えるかもしれない。

けれど一番の悩みは、何の意味があるかもわからない2時間の寝かしつけタイムが、私自身本当に苦痛だということなんだと思う。

 

寝かしつけが終わった23:00すぎ、私は起きだして居間に戻る。ソファに思いっきり持っていたスマホと本を投げつける。そしてソファを数発殴る。

声を抑えながら泣いていても、寝室で眠っている夫が起きてくることはなくて。

虚しく感じてブログを書くことにする。