こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

自分に余裕が出てきたら、子供の教育に興味が湧いてきた

私はつい最近まで、娘の将来に不安しかなかった。自分に自信がないので、人間を育てることにももちろん自信がない。

ここ最近、新型コロナの感染対策で、夫が時差出勤をしている。そのため夫が夕方以後には家にいて、娘と過ごす時間が大変増えた。

そうして改めて実感するのは夫の子供への関わり方は良いなと思う。

今に始まったことではないのかもしれない。夫はもともと空いている時間の全てを娘に全力で注いでいたと思う。

私が最近ようやく娘のことが見えてきて、

「小さくて可愛い時期は貴重なのに、もったいなかった。こんこん(夫)はずっと可愛いなと思いながら、子こひがしを見てきたんだね」

というようなことを言うと

「今が一番可愛いときだよ。良かったね。」

と言われた。

私は、自分が子育てにおいてとても良い大人として関われている自信がない。

しかし夫は娘の良き理解者で良い協力者となってくれると信じている。

そう考えるともうひとりくらい子供が欲しいとまた衝動が湧き起こる。

これは実験みたいな感覚で、いろんなタイプの人間がどう育っていくかを楽しみに見守れそうだという気持ちになってきたのだ。

身近で人の人生を見られるというのはすごい経験なのではないか、というように考えられる余裕が出てきた。

子供の人格形成において、教育する親は夫がいれば安心としよう。

さて、その他にはお金のことが一つ気がかりだ。

私は、自分の精神の不安定さなどの問題で手一杯の時や、お酒のことを考えている時には、子育てには喜びなどあるのだろうかと思っていた。

しかし、今自分の問題から手離れでき始めると暇なのだろう。子供の人生に興味が湧いてきたし、子育ては楽しそうだと思うようになってきた。不安で仕方なかった子供の成長に、楽観視できる余裕が生まれたのだ。

そのせいか、いわゆる教育ママ的な方の言葉もよく耳に入ってくるようになる。それも、幼児期から英語に触れさせている子供の親の話、中学校から海外に留学させている話、ハーバードに子供を入れた親たちの教育法など。今まではちょっと冷めた目ですら見ていたこれらの話が、やたらと耳に入る。

そして自分とはなんか違うな、というかお金持ちだからできること、と無理だと思うほど気になるから嫌なものだ。

今はお金の不安が常につきまとっているけれど、経済的な余裕が生まれたら、逆にお金などどうでもよくなるのだろうか。いちいち考えなくても済むほど、お金に対して余裕を持てるのだろうか。

現状であれば、我が家は子供を普通に日本の小中高へ通わせ、大学に行かせるだけでも将来に向けて計画的に貯蓄したり、資産運用して行かなければ難しい。

子供にはできればたくさんの選択肢を与えたいと思う。収入が増え、単純に固定費なども増えずに経済的に余裕がでにれば、子供が留学したい、習い事をしたい、希望の学校へ行きたいなど何かしら教育にお金がかかることを言ったとしても答えられるかもしれない。

また、前もってビクビクせずに子供に様々な選択肢を見せることができるかもしれない。

しかし、あえてお金のかかるような教育環境を当然用意して与えてやることにはさほど意味がないように思える。当たり前ではなく、自分で考え、選び抜いて生きているのだと思わせたい。

そうこう考えていると本当に子供の可能性は無限大なのだなと思う。

このようにあれこれと思案しながら、子供の無限大の可能性に思いを馳せることこそ、教育が楽しいという感覚なのだろうか。