こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

昼間から飲んで保育園のお迎えに行けなかった私が、酒を辞めてからの話

金輪際アルコールを摂取しないと決めました。長い人生において、まだ禁酒2ヶ月なので、まだまだ長い道のりですが。

酒を辞めた今、私はどのような様子か

酒を辞めたばかりですが、今は娘の保育園のお迎えに難なく行けています。

以前は、15時半ごろから飲んでしまうことが度々で、たまに泥酔した日には娘の保育園へのお迎えが恐ろしかったのです。

といっても、ここ最近の新型コロナウイルスの感染拡大対策で、夫が時差出勤をしているため、断酒後のお迎え頻度はそう高くはありませんが。

また、娘に対する興味が湧いたことが、私にとっては嬉しい発見でした。

これにより、生活の幅が広がったような気がしています。

 

また、酒を飲み溺れるという感覚が、どのようなものだったか考えた時、あることに気がつきました。

私にとって酒を飲むということ自体が、格好をつけるというか、背徳感みたいなものを刺激する行為だったように思うのです。

だからこそ、落ち込んだ時や、自分がダメ人間だと思う時は余計にダメな行為である酒に浸り、アウトローな自分だから仕方ないでしょうと、自分がダメであることを隠すような感覚があったように思います。

なんなら、不良っぽいところが面白いでしょう?というイメージでしょうか。

その点、酒をやめた今、自分に酔った感じはだいぶ軽減されたように思います。

こうなると、もうありのままの自分を見せていてもいいじゃないか、というか酒の力を借りていなければ、つまらない、当たり前の自分でいるしかないと言う、開き直りの感情が生まれたように思います。

どんな時に酒を飲みたくなっていたのか

では、どんな時に酒の力を借りたくなっていたのか、どんな時に酒を飲んでアウトローな自分になってしまいたくなっていたのか、思い出してみました。

 

仕事のリセット

会社員時代なら、仕事終わりのプシュっと。つい最近なら、仕事の煮詰まり具合や、きりの良いところで飲み始めると言う感じです。

なんなら仕事に向かうモチベーションとして酒があるといっても過言ではありませんでした。

仕事を通して社会に馴染もうとするストレスから解放されたくて飲んでいたのが、仕事終わりに飲んで崩れる自分を楽しみに仕事していたのか、今となってはどちらでも良いのですが。

飲み会

飲み会の時には羽目を外すほど飲むのが習慣です。

私は飲んで自分を自分で盛り上げ、面白いキャラクターを演出する傾向がありました。

こんなクレイジーな私、面白いでしょという感じです。

飲み会から帰ると大抵、何かしでかしていないか、ひどいことをしてしまっていないかと、色々悩み落ち込むことになるのです。

ストレスを感じた時

仕事がうまくいかない時、日常生活でのストレスを感じた時、夫とのいざこざ。あらゆることが、酒に溺れても良い、いじけて良い理由になっていました。

ハイなとき

一方で、テンションが上がっている時にも飲みます。

昼間の早い時間から飲んでいる時は大抵そんな状態です。

楽しみなことがあるとか、嬉しい出来事があったときの祝杯なのですが、こういう時の反動はひどく、酒が切れると落ち込みました。

手持ち無沙汰にならないように

週末や、友人との会食など、人と会う時には必ず飲みます。

私は人との接し方がうまい方だと思っていました。

そして、毎回楽しい会食にしよう、それは自分の役目だ、と思っていました。

しかし、逆に上手に会話しなければと思うあまり、おそらくかなりストレスを抱えてしまう会話下手なタイプなのだと思います。

話が途切れることが嫌いで、ついつい話しすぎてしまいますし、テンションを保つために飲みます。

もしかしたら、周りはそんな私を逆に落ち着きがなさすぎると思っていたかもしれません。

酒を飲まなくなって感じたメリット

酒を飲まなくなったからといって、上記の全てが良い方向に劇的に変わったというわけではありません。

仕事の切り替えは、仕事終わりの酒がなくても意外とできています。

というか、昔ほど仕事が混んでいないため、仕事だプライベートだとあまり意識しなくなったように感じます。

過度な仕事ストレスが頻繁にないだけかもしれません。そのような生活になっていることは良いことなのですが。

そのほかは以下のような感じです。

・体の調子が良い、特に朝

・娘が見える

・周囲から驚かれる

・飲み代分が浮く

・時間がすごくある

・夜に家事などができる

・酒を切らす心配がいらない

・自転車で飲み会に行ける

大まかにいうと、金と時間と酔ってない肉体を手に入れたということになります。

当たり前ですが。

飲み会に行ってみた

酒を飲んでいた頃、飲み会の予定は月に1回は最低でもありました。

というか、出かけたり、友人と会うなどの約束では、もれなく酒を飲んでいました。

断酒後、数回、本格的に居酒屋さんや、レストランでのディナーの席で、周りは飲む友人ばかりという、いわゆる飲み会に行ってみました。

予定が入っていたので断らずにシラフで参加したのです。

 

全然普通に楽しめました。

私の場合、その場がしらけることが大変恐ろしいのですが、飲んでいた頃は酔いに任せてテンションをあげ、その場を盛り上げることを必死で考えていました。

しかし、自分がシラフで周りがみんな酔っていると、そんなに気にしなくていいのではないかと思えてきました。

まず、誰も人の話を真剣に聞いていませんし、酔っ払っている人は酒を飲んでいるだけで楽しいので、放っておいても大丈夫なようです。

また、こちらの方が冷静だぞという前提が私に自信を与え、盛り上げなくても強気になれます。

酔っていないので、テンパって余計なことを口にする心配もありません。

そして、そんな状態で初めて私は会話を楽しむ、その場を楽しむということをナチュラルにできた気がします。

また、以前は大抵、まだまだ飲みたいので、2次会、3次会と最後まで残るタイプでした。

しかし、飲んでいないのにずっと付き合うことは逆に驚かれ、なんなら感謝されるくらいです。

ジンジャーエールにも飽きてきて、

「夜も深いのでここらで」と自分から帰りたい気持ちが自然と湧きました。

周りに忖度せずに、帰りたくなったら帰ることができたのは初めての経験だったかもしれません。

ただ、酔っていた頃は帰り際の記憶がないだけなのですが。

飲まなくなってできた時間をどう使うか考えた

飲まないと最初は暇です。

時間をどう使えばいいのだろうと思ってしまいます。

というか、飲まなくても変わらない自分がいることに、恐怖を感じるのです。

相変わらずのなんでもない自分です。

空いた時間があってもやはり十分に娘にかけてやる時間に充ててなどいません。

仕事も模索中です。

夫との喧嘩も相変わらずです。

 

しかし、迷走しまくって、断酒なんてすごいことして、これ以上ないしてやった感あることをして、何も学ばない自分でいることが怖いので、

何かしなくてはいけないと窮屈な気持ちになるのです。