こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

怒り出す私に怯え、あの時こうしなければよかったと、後悔するのはなぜか被害者である夫なのだ

怒る泣く、と感情が突如爆発してしまう私のせいで、夫と娘の何でもない日常が、突如恐ろしい一日に変わる。

私は私で、私を怒らせている一因は夫にあると、その瞬間は思っているので、自分の主張を止めようとしない。

夫から自分へのどんな言葉を引き出そうとしているのか、私は自分でもわからないので、その日が終了するまで私の怒りは収まらない。

こうして、私は自分の機嫌のコントロール方法がわからない。

毎回突如怒りだすことをくり返してしまう。

 

私の怒りが爆発してしまう時、夫は、こんな風に感じるのだろうか。

「あの時自分がこう言わなかったら、私を怒らせることはなかったのだろうか、ならばいっそ息を潜めて生きていよう。」

娘もいずれそのように考えるようになってしまうのかもしれない。

DVモラハラ人間は、被害者の幸せで穏やかな日常の全てを奪ってしまうんだ。

 

土曜日、昼間に喧嘩したばかりなのに、夜になり、また私は夫に怒りをぶつけ、泣いてしまった。

発端は、本当に何気ないことだ。

私が友人のインスタグタムを見ていて、彼女は出産したばかりなのだが、我が子の写真を投稿していた。

これについて、言葉にしなくても友人が我が子を、可愛くて仕方がないと感じているのだろうなという様子が伝わる、と夫に話した。

そして 自分は出産時、同じように思えなかったこと、またいまでも娘を溺愛してあげられない、など悩んでいる思いを話した。

 

夫はすごくうざそうにしている感じがした。

 

その態度に私はイラっとする。

私はなぜ夫がわたしの話にそのような態度をとるのか、非言語で表現するならきちんと言ってくれよと言った。

 

話しているうちにまた感情が高ぶり泣いてしまう。

娘はずっと

「うるさーい、うるさーい」

と叫んでいる。

 

その後、私は病院から処方されているレキサルティと、液体タイプの安定剤のようなものを摂取した。その行為によって少し落ち着く。

 

それから、今の夫の私への扱いは、何だか自分の母に対する、父や私の態度のようだなと感じた。

母は父や私に必死に何かを伝えようといつも愚痴や自分目線の話を突然話だし、だいたいそれは悩んでも仕方ないじゃん、そんなにストレスならそうしなければいいじゃん。と、突っ込みたくなるような内容の話なのだ。

しかし、母は話をしている最中にはその話題や考えに囚われ、抜け出せないように私には見えていた。

今思うと、私は父に対しては、そのような愚痴をこぼしている印象がない。

また、それ故に父がこのような「またくだらない話をして」とバカにされる対象になることもあまりない。

不思議だ。

まぁ、これは歳をとってしまえば男親も女親も同じようなものかもしれないのだが。

そんな母に対して私や父は、おばさんだから、歳だからとどこかバカにしたような態度で、仕方なく話を聞いてやったり、時にははっきり切り捨てるようなことを言ったりしていたように思う。

 

今の自分はそれと同じなのだなと感じた。

自分がバカにしていた母と同じことをしている。

 

初めてその立場になってわかったのは、確かに一旦話し出すとどうにも聞いて欲しいという気持ちが溢れ出し、一方的に自分中心の会話を展開してしまう。

時には、主語がないとか意味がわからないとか指摘される。

そして、自分でも、ああ、うざがられているな。

それなのに楽しい話題をできない自分って何なんだろう。

こんな自分って何なんだろうと感じている。

母もそうだったのだろうか。

 

夫にそのようなことをぐちゃぐちゃまだ言い続ける。

夫になぜ私をバカにするのか、あなたがうざがるからこちらも腹がたつのだと主張する。

夫は、娘が嫌がっているのに、話をやめられない私にうんざりしてしまうと、うざがってしまう理由について話してくれた。

ああ、そこなんだ。

これも言われてみると意外と想像していた答えと違った。

常に私は思い込みで勝手に熱くなっているだけなのだ。

夫はこの喧嘩が良い方向に話し合えて、終息するように思えないので一旦家を出る、と言って娘を連れて出ていった。

その日はホテルに泊まってくれるという。

 

私も娘に、

「こんこん(夫)とお外にお出かけ行く?

と聞くと、

「お出かけ行く」

と娘は答えた。

 

出かける際に娘が私に

「バイバーイ!」

と元気よく声をかける。

私はそれを見て、なぜかまた泣く。

 

私の泣き始める顔を見た娘は、表情を一瞬曇らせる。

それを私は見逃さない。

罪悪感でまた涙が溢れた。