こひがしブログ

生きにくい日々を幸せに生きるため試行錯誤する記録

ある名著を半信半疑で読んでみたら、本当にたばこを辞められた

私は禁煙をしました。まだ8ヶ月ほどしかたっていないのですが、これまでの禁煙と違って明らかに吸いたいと想像する機会が減っています。しかし、もう二度とたばこに手を出したくない、あの生活には戻りたくないという思いの方が強いです。

禁煙できた最大の理由は、有名な書籍を読んだことで、禁煙を決意できたことが大きいです。

また、現在は禁酒もできていて、アルコールとたばこの相性は最高だったんだなと思うことがあります。逆にいうと、どちらもやめたことで、どちらの抑制にも効果を発揮していると思うのです。

まずは、禁煙にいたったきっかけとプロセスについて話したいと思います。

夫との大喧嘩がきっかけに

ある晩、夫といつものごとく喧嘩をしてしまいました。そんな時私は、夜中ひとりで泣き続け、酒を片手に換気扇の前に座り込み、たばこをチェーンスモーキングするというお決まりの落ち込みパターンを持っていました。

そんな夜更かしをするせいで、翌朝も遅くまで寝てしまいます。目覚めると横に娘がまだ眠っていました。娘を保育園に連れて行かなければいけない時間が近づいています。

自分が勝手に夜更かしをして、起きられなかったのに、私は夫に

「なぜ起こしてくれないのか」と責めました。私はともかく、娘には、カーテンを開けて覚醒を促すくらいのことをしてくれてもいいのではないかと思ったのです。

今思えば、この時夫婦間での娘の送り迎え分担問題も、良い落とし所を見つけられずにいたと思います。夫婦の仲はそもそも上手くいっていないのです。

朝からああだこうだとやっているうちに、夫が家を出る時間が近づいています。

私は口論が始まるとなかなか辞められない厄介なタイプです。夫を玄関外の廊下まで追いかけて言って、後ろから突き飛ばしました。私は裸足のままでした。

夫が出社したあとの家で、私は反省しました。反省するならしなければいいのですが。

それからしばらくの間、夫はいつも気持ちが沈んでいるようで、私はそんな夫をいたわることすらできませんでした。

この頃、病院にも真面目に通っていなかった時期だったと思います。

そこで再び治療に取り組み、まずは夫に誠意を見せよう、関係を修復しなければと思いました。

再び通院を始め、書籍や新しい考え方を取り入れ始める

再び通院を始め、その頃はインチュニブ(注意欠陥/多動性障害)の服薬を復活したと記憶しています。

また、このままではいけないという気持ちから、依存や心のケアに関する様々な書籍を読み始めました。

その中で、度々夫に指摘されていた言葉を思い出します。

酒を控えたら良いのではないかというものです。

まだこの頃の私には断酒を決意する勇気がありませんでした。

そこで、まずは禁煙から取り組もうと思ったのです。以前から、禁煙には何度か挑戦したことがあり、再び一本に手を出すことがなかったら、そのまま禁煙できていたのに。という思いはずっとくすぶっていました。

不思議なのですが、禁煙や断酒について決意しようとする時、今後一生自分の人生からこれがなくなるということが怖いと思う気持ちが生まれます。

辞めたいのに辞めたくないという気持ちなのです。

しかし今回はやるのです。

まずは、禁煙についてのブログなどを読み始めます。そこでふと思い出したのは、昔から度々耳にしたことがある本です。

それは『禁煙セラピー』(アレン・カー著)という禁煙したい人が、たばこを辞めるための本で、20年以上前にベストセラーになったものです。

禁煙外来や、代用製品をいろいろ試してしまっていた私ですが、この名著は意外にも読んだことがなかったのです。

そこで早速購入。これも読みはじめるまでにはかなり勇気がいりました。下手すると一ページ目に

「もうたばこは吸わないでください」と書いてあるかもしれないのです。そうなると、読み始めるタイミングで今ポケットに入っているたばこを捨てる決意をするということです。

『禁煙セラピー』は私には効果絶大だった

読み始めた『禁煙セラピー』ですが、この本を読み始めて半ばにはすでにたばこを捨ててしまいたくなります。

内容としては、いかにたばこが有害かという説明と、たばこを吸うことがいかに無意味か、吸わない人生がどんなに素晴らしいものか。ということが書かれています。

まぁ、そんなの本を読まなくても知っていたことばかりなのですが、不思議とこれが本を読み進めていくことでどんどんマインドコントロールされるように私の意見のようになってくるのです。

そして私は本を1日ほどで読み終えました。もちろんこれにてたばことはお別れです。

一生忘れないと心に決めている、三田駅のある喫煙所の前で、最後の一服を「まずいまずい」と思いながら吸ったこと。

そして、プルーム・テックだったのですが、これをゴミ箱にポイっと捨てました。本当にこれで、二度とたばこを吸わなくていいのだなと、嬉しいようなさみしいような、誇らしいような気持ちになりました。

その日はそのまま病院の日でした。そこで先生に

「禁煙することにしました」という報告をしたのです。

先生がなんと言ったのかは覚えていませんが。

 

つづく

 

児童相談所に連絡した夫の罪悪感

『金持ち父さんの若くして豊かに引退する方法』(ロバート・キヨサキ著)を読了した。これで気分を良くした私は、持ち前の行動力を発揮してしまった。

あとは大金持ちになる明るい未来が待っているだけだ。

まずは不動産投資をやっているという友人に話を聞いた。だが、私には現在ローンがあるから、新たに不動産投資のためのローンを組むのが厳しいだろうとのことだった。

 

また、酒を飲んでいた時に、失礼をした二人の知人に数ヶ月ぶりにLINEにて謝りの連絡を入れた。何事かと思っただろうが、これで私は勝手にすっきりしたから良い。どこまでも失礼なやつだ。そんな私にも「良い一歩になるといいですね」と温かい言葉をかけてくれる、親切な方々だった。

この二人はいずれもあるネットワークビジネスをしている。そういえば前述の書籍にはネットワークビジネスの良さについても触れられていた。ここにも結局自分の打算が見える。

 

さらに、知り合いから舞い込んで来た新型コロナ関連の慈善活動や寄付の話。これにも協力する宣言をしてみる。

もうどこまでもスターモードだ。

 

諸々エネルギーを使ったところで夫が帰宅。

 

2日ほど前に夫と喧嘩をした。私は喧嘩を辞められず、ひどい状態になってしまった。なのでその翌日には、私から謝った。夫にというより、一旦喧嘩を見せてしまった娘に、せめて収拾したことをアピールするために、私から夫に「ごめんね」と言ったのだった。

 

しかし、夫はその後もふさぎこんだ様子。まぁ、急には元気になれないのかと思う。

夫に事情を聞くと、児童相談所に連絡したことに対する対応の電話が、先方からかかってきたということだ。喧嘩をした晩は、夫自身がSOSを求めて電話したのだ。だが、改めて日が経つと、お互い冷静になれる。ところが、一度児童相談所に面談に来て欲しいということらしい。夫は近日中に赴く約束をしたそうだ。

一旦は娘を預かってもらおうとまでしていたのだが、下手すると我が子と数ヶ月以上会えなくなるかもしれないこと、また娘に寂しい思いをさせようとしていたことに申し訳なく思って、娘と接するのに後ろめたさが出てしまったのだという。それでなんとなく元気には振る舞えなかったそうだ。

 

私は、今ここでようやくこの気持ちをわかってくれたのかと思った。私は娘が生まれてからずっと、まともではない私に育てられる娘の将来を憂い、絶望感と申し訳なさで後ろめたく、娘を正面から見られない気持ちがあった。

 

一方、私に対しては、私が夫になんで謝っているんだろうと感じたそうだ。謝られても、という戸惑いらしい。

なので、私が娘に仲直りしたことをアピールする目的で夫に謝ったことを説明して、納得してもらった。

 

夫は私の扱いに困り、私を腫れ物を触るように思っているらしい。だから、何か余計なことをいうと、私がどうにかなってしまいそうで怖いのだとか。

 

そこで、喧嘩した時の対処法だけはせめて決めておこうということになった。

私が異常な場合、その日はできるだけ早く夫が娘を連れだし、近くのビジネスホテルに泊まるということになった。

散々な一日になった。喧嘩は時間を消費するだけだ。

わかっているのにまたやってしまった。

 

しかも飲んでもいないのに、やはりこうなのだ。

たばこと酒が欠かせなかったころ 2

妊娠、出産を機に、たばこと酒をやめることができていました。

しかし、再びたばこと酒に溺れてしまったのは、やはり最初の一服、最初の一杯に手を出してしまったことが原因です。

酒が飲みたくて断乳

子供の授乳が減ってくると、家で缶ビール一本飲むこともたまにありました。まぁ、酒はいずれ飲むつもりでいましたので、授乳の頻度が少なくなってくると、徐々に酒を飲むようになっていきました。

さらに、友人の結婚式に出席したのをきっかけに、泥酔するほど飲むということを再び経験しました。そのうち、断乳すれば思う存分飲めることに気がつきました。

そこで断乳を決意。意外とあっさり断乳できてしまいました。娘は夜、哺乳瓶でミルクを飲んで寝るという習慣があったので、おっぱいでなくとも大丈夫なようでした。11ヶ月くらいの頃です。

最初の一本はストレスが引き金に

たばこに再び手を出すきっかけとなった出来事があります。ある正月のこと、夫の実家に帰省していたときでした。義母の様子がなんとなくおかしく、ぎくしゃくするなと感じていました。義母が風邪をひいていたこともあり、思う存分孫と触れ合えないことへのストレスもあるのかなと思っていました。

また、元々義母はうちの経済状態を心配していました。金銭的な援助を受けることもしばしばありましたので、干渉に対して文句を言えないところもありました。強気に出られても仕方のない関係性という感じでしょうか。

帰省後数日、義母の機嫌が大変悪く、義父に当たり散らす他にも、私や夫への冷たい接し方に、私たちに対しても何かあるなとは思っていました。

ある時、明らかにキッチンに座り込み、めそめそとアピールしてくる義母に、仕方なく、

「何かあるんですか? 言ってください」

と言ってしまったのです。すると、

「心配なことだらけよ。あんたたちのこと、これじゃあ "じり貧" じゃない」

と経済的な面で心配していることを漏らしました。

そこについては、息子が思い通りの生活をしていない現実、それが妻である私のせい? でもあるのかなと思い、心配をかけて経済的援助までしなければいけないと思わせていることについて謝りました。

しかし不機嫌はまだ続きます。帰ることが決まっていた最終日、私が起きて早々、居間に降りてきた私を捕まえて、何やらブカブカのズボンがきになるからゴムのつけ方を教えてやると言うのです。私はゴム通しの使い方を知らないと言うと、

「そうだと思った」と。また、今度は

「味噌汁の味を見てくれる」と。

面倒臭いのとイラッときたので、喧嘩っ早い私はいらんことをしてしまいます。

「ってか、まだ何かあるなら言ってください!試すみたいな、いじめみたいなことして!なんなんですか!?」

どうやらことの発端は、連れてきた孫に着せていたパジャマだそうで、それは義母からいただいたロンパースだったのです。しかし、ロンパースって早々に立って動くようになった娘には不便だったので、寝巻きにすると逆に腹が出なくて便利! という理由で寝巻きにしていました。

「一生懸命人が選んだプレゼントを、寝巻きにされて、どういう気持ちかわかる?

それはかわいそうなことをしました、すみません。

また、義母には忘れられない、根深い不満があるようでした。私がまだ妊娠中のころ、貧乏で住居費にすら悩んでいたので、私の実家に身を寄せる話が出ていました。その時、義両親は祖母の介護があったため、私たちまで世話になるのは無理だろうと夫の考えもあってこのような案が出ていたのですが、、、。

これも引っかかっていたそうです。いつかは息子が嫁の方に取られてしまう、婿に出したわけでもないのに、ということでしょう。

私の実家に帰る話はもうなくなったこともしっかり告げ、夫の実家を後にしました。

 

自分たちの家に帰ってくると、私はふつふつと治らない怒りがこみ上げてきました。

それと同時に、夫は義母とそっくりなモンスターの私を選んだ、というかハントされてしまった因果にもちょっと皮肉を感じました。そのため、このことについては夫に愚痴りすぎるのは良くないと思ってはいました。(その後も度々義母への愚痴を夫に聞かせているのですが、この時はそう思っていました。)

 

自宅に帰ってきたその日、私は近所のコンビニへ。缶酎ハイとKOOLMILDを買って、コンビニ外のベンチで一人やけ酒です。

一気に半箱くらい吸ったと記憶しています。

それからすぐにたばこを常用したわけではありませんでしたが、この一服目で、喫煙のハードルは一気に下がり、度々一本だけを繰り返すようになります。その一本は夫が喫煙者なので、手に入れようと思うと簡単に手に入りました。

電子たばことの出会い

夫がある日、電子たばこを家に持って帰ってきました。プルーム・テックです。それをちょっと吸ってみると、たいして吸った気もしませんでした。これも悪い誘惑だったと思います。たいして罪悪感がなく、そのうち、プルーム・テックを常用するようになっていました。

プルーム・テックは、自分のペースで数口だけ吸引することができるので、忙しい子育て中の方にも最適です! その代わり、火をつける必要もなく、くわえた瞬間喫煙できるので、手軽なあまりチェーンスモークしがちです。また、煙が少ないので、子供の前で吸うことにも罪悪感が少なく、ついつい吸いすぎてしまいました。

ベランダや換気扇で度々吸うので、子供がある日おかしなごっこあそびをし出します。

壁の隅の方に寄っていって、口に指を近づけ、フーっと息を吐くのです。

「何してるの?」と聞くと、

「たばこ吸ってるから、ちょっと待っててね。」と言いました。

これくらい、娘にとって喫煙がかなり身近なものになってしまったのです。

あっという間にたばこと酒のある生活が自然に

また酒を飲み、たばこを吸う生活が戻ってきていました。私の生活は大変乱れていたと思います。

その間、会社勤めをしていた頃は、居心地のよくない職場でストレスをため、手持ち無沙汰で1時間ごとに喫煙に席を立っていました。

以前から書いているように、酒も手放せない日々です。

 

その間、夫にもちょくちょく喧嘩をふっかけて、ひどい口論を夜な夜な繰り返していました。

そんな時、仕事がうまく行かず、辞めることになったのを機に、精神のクリニックに通い始めます。

その頃から、自分を知るようになり、様々な書籍や、カウンセリングなどの手法を繰り返すことで、今の自分を変えるという行動を少しずつですが、取れるようになってきます。

 最終的には、ひどい喧嘩か何かがきっかけだったように思います。私は断酒をしたいと思い始めました。しかし断酒は怖いので、まずは禁煙か、と考え始めるのです。

つづく

夫婦喧嘩中、子供への悪影響について考えると、さらに辛くなった

昨日久しぶりにひどく夫と喧嘩してしまった。

 

最近家計についての苦しさを感じている。

苦しさというか、私は自分がこれ以上自分の時間を切り売りしていても、サラリーマン時代と同じだけ稼ぐのすら難しいと感じていて絶望してしまう。

夫も今の会社に生涯務め、昇給を当てにしてもそれは確実なものではないし、それすら担保されたものではない。また、今後娘の成長に伴って出費は増えていくことを考えると、とても十分な計画とは思えないでいる。

私はそのようなことから、私自身が収入を増やす方法、もっと言うとお金持ちになる方法なるものを考えようと思いはじめた。

 

昨日は、「金持ち父さんの 若くして豊かに引退する方法」(ロバート・キヨサキ著)のような本に書いてあることを話したり、本を夫に勧めたりした。あからさまに夫はちょっと不愉快そうだった。

突拍子もなくこういった話を投げていることは私も悪いと思う。また、本一冊でも読んでと強要されることは嫌なものだろう。それも冷静になるとわかる。

 

それでもなんだかモヤモヤして、結局喧嘩にまで発展してしまった。昨日私が引っかかったのは以下のようなことだ。

 

・朝私が起きないので、朝の子供の世話は大抵夫がしていることについてなどを持ち出し、自分には本を読む時間なんてないというようなことを言われた

・仕事をやめろといったり、仕事について干渉するのはDVだと言われた

・今私は双極性障害だから、治すことをまず考えようというようなことを言われた

 

確かにいずれも、私が夫でも同じように考えるかもしれない。なのに夫には口出ししてしまう。いつも自分の方が身勝手な押し付けをしていると自覚しているのに、それを辞められない。

 

朝に関しては、夫は早く起きろと言いたいわけではないのだという。私が朝起きないことで、一日が長くなり、疲れることは確かなので、他でカバーしてほしいということだ。これもごもっとも。だが、時間がない、と私の提案を切り捨てられたようで腹がたってしまった。

 

仕事に関しては、私は夫に仕事をやめろと言ったわけではない。私たちは家計全体のプランを見直さないで、毎日に忙殺されていることについてどうなんだと言っただけだ。

また、家の経済については、二人分で一つではないか。夫は自分の仕事一本で生きていけるだろうが、私は夫の収入に頼らざるおえない生活をしている。そのため、全体の収支について口を出すことが、仕事に口を出すことと同じとなってしまうのか。

夫の稼いだお金は私のお金ではないのか、夫の稼ぎ方には関与してはいけないのか。私はすごく突き放されたように思えて悲しく感じた。

 

最後は、病気だからということを言ってくること。これも夫のいう通りだが、病気だと夢を見てはいけないのか、何か大きな目標を立ててはいけないのかとなってしまう。また、病気が治るということに期待し、完治すると何かが開けると考えることにあまり積極的になれなかった。

 

これが引き金となって、泣き、大声を出す大げんかになってしまった。

 

喧嘩の最中にそれはDVだからやめろと言われてももう止めることができない。

子供の前でまた大きな怒鳴り声をあげてしまった。これも虐待だと思う。しかし、一度火がつくと辞めることができない。

 

やはりDVだと思うのなら、離れていってほしいとさえ思う。そうしてもらわなければ辞めることはできない。本当に勝手だと思うがそう思った。

子供に私の恐ろしい姿を見せたいのかなと思ってしまう。

子供に悪影響を与えるお母さんなのに、自分から辞めることも離れることもできないから、死ななければならないと思った。

床に頭をついてうな垂れて泣き、死なせて欲しいと言ったりする。

でも死ぬこともできない。2階から飛び降りても死ねないのをわかっていてそんな想像をしている。結局夫に心配させたいだけなのだ。

 

子供は、私を恐ろしがってずっと拗ねている私のそばにはよってこない。

「喧嘩したら怖いよ、こんこん(夫)とこひがし、あんまり喧嘩しないで」

と言っている。

 

それでもやめられない。

 

2030分ごろに、やっと夫が娘を連れて外へ出ていった。

 

娘にとっては想像もしていない恐ろしい出来事が突然に起こるのだ。本当に恐ろしいだろうと思う。かわいそうだと思う。本当に思っているのだろうか。そんなことをしてしまって娘をどうにかしてしまいそうな自分が嫌なだけだ。娘の成長にマイナスな要因になってしまったら、そうやって自分のせいになるのを恐れているだけなんだ。

 

なんて勝手なんだろう。本当に勝手な人間だ。

 

そんな考えからもぐるぐる抜け出せず、切り替えられないからそんな時も、娘の面倒を見ているのは結局夫だ。

 

私は泣き止むことができない、不安定な自分で娘に向き合うことができない。自分が、小さな子供と接してはいけない怪物に思える。

 

夫に何かあったら、私たちは死ぬしかないと思った。

夫が娘を連れて、私のことを捨てたら、私は死ねばいいと思う。

良いお母さんになれなくて娘の人生を犠牲にするくらいなら、私がいなくなった方が良いと思う。

私は私でいることをやめられないので、一つもやめられないので、死ぬしかないのだと思った。自分が死ぬか、暴力を振るうかなので、暴力をふるってはいけないなら、死ぬしかないのだろうか。

 

二人が帰ってきて、22時ごろ、夫ももう無理なんだと思う。すごく疲れていそうで、病院にも通っていると言っている。家族のことがストレスなんだそうだ。

 

夫が児童相談所のダイヤルに連絡をしている。

 

私はちょっと冷静になり、娘をお風呂に入れていないとか歯磨きしてないとかどうでもいいから、もう寝かせようと思った。

一緒に布団に入ったら、娘は疲れていたのかすぐに寝た。

私もそのまま眠ってしまった。

子供はまっさらなキャンバスなどではなく、人格が備わって生まれてくる

子育てが辛い理由を日々いろいろと考えている中で、一点気が付いたことがある。

それは、私の出産する以前のイメージでは、子供はまるでまっさらなキャンバスかのような、大人の私よりもどこか初期段階みたいなところにあって、私の思い描いたように私にくっついてくる無個性なイメージがあった。

 

しかし、そうであれば人形と同じで、煩わされることはないのだが、しっかり人格を持っていることがわかった。大変煩わされる。

 

私のそのような子供無垢説の勝手な思い込みにより、勝手に子育てを大変にしている節がある。子供をどこか思い通りになる前提で考えていたのだ。無垢どころか、私が私の思い描くように子育てに真摯に取り組めば、何か社会の中にいるとても良い人、素直な人のような人間が出来上がると思っていた。

が、どうやら子供は既に結構人格を持っている。

私が怠け心を存分に発揮し、テレビを見ながら子供を放置していると、赤ん坊の頃ですら飽きたのか、空腹なのか、個性全開で自分の存在を主張してくる。

私だって人殺しや、虐待になるのは嫌なので、構わずにはいられない。

 

私は大人の友人たちに対しては、自分の思いをそこまで通そうとは思わない。思いが通らなくてストレスが溜まるようなら、あまり長い時間一緒にいなければいいのだし、そもそも付き合っているのが辛い人とは付き合わなければ良いと思っていた。まぁ、向こうも私に対してそのように接しているだろうという期待もある。

または、どうしても付き合い続けなければいけない場合は、自分を殺してだいぶ相手に合わせる。しかしこれは大変ストレスが溜まるので、おそらく適度に思ったことは伝え、互いに多少の歩み寄りを期待して付き合っている。

 

しかし子供はどうだろう。私に歩み寄ることなんてまだできないし、忖度することもできない。おそらく親のストレスを軽減するために忖度しすぎる子供はそれはそれで心配もある。

 

また、子育ての辛さで思い当たるのは、私は自分に自信が持てない。自分の許せない部分が結構ある。子供は2歳ともなるとかなり人間らしい。それどころか、人間らしさを凝縮したような濃さで、ありのままをさらけ出している。そうなると、私自身が嫌だなと思っている部分を娘がちらほら出してきたりする。

その際私は、あ、これだ。と感じる。私は私を許していない部分があることで、つまり人に対して許せない部分を持っているということなのだ。かといって、2歳の娘と距離をおくことは難しいし、

「その部分ちょっとどうかと思うんだけど」ときつく追求しても解決はなかなかしない。

言ってもわからない、治してくれといっても治せないことがあるのだ。それは程度の違いであって、大人相手にもあることだろう。それぞれが自分の思いがあって自分を通して生きている。それを私の勝手な物差しや、基準で、こうしろああしろと言われたところで、

「いや、それやったところで私になんの得があるの? 」と普通はなるわけだ。

 

私が娘との付き合いを辛く感じるのも、私の勝手なんだなと思う。娘は娘の勝手で生きているのだ。

 

だが娘は私と付き合いたくないからといって付き合わない選択はできない。私を決して捨てることができないのだ。

 

私は娘と付き合っていきたいとやはり思っているので、娘に合わせることを学ばなければいけないのだろう。娘のキャンバスに何か外から勝手に描こうなどと思ってはいけないのだ。

娘は私の好き嫌いとは無関係に生まれてきて、選んでもいないのになぜか娘は私にとって好きな人になった。

だから、私は好きな人を性格や見た目などいろんなことで判断したわけではないのだ。娘についてはそうだ。

また、娘に何かを伝えたいと思ったら理想なんてものは押し付けられない。娘だって私の理想通りに生まれてなんてきていない。当然だ。

結局何か娘に言って聞かせられることとは、誰にでも通用すること、私が広くどんなことも受け入れた上で、ジャッジしない心で説明できることだけなんだ。

 

なんちゃって。

たばこと酒が欠かせなかったころ

私は断酒と禁酒をしています。これは生涯たばこを吸わない、お酒を飲まないと決めて実行するということです。

私がたばこと酒を愛煙、愛飲していた頃について書いてみました。

 

私はたばこも酒も生活に欠かせない状態でしたし、幾度か禁煙を試みたことはありましたが、なかなか成功しませんでした。

愛煙家、愛飲家には、これを辞めようと思ったことがある、または実際に辞めたことがあるという方は多いのではないでしょうか。私もそうです。吸いたくて、飲みたくて仕方がないのに、辞めたいとも考える。この相反する感情に苦しめられるのが、依存の辛いところです。辞めたいと考えるくらいですから、吸ったり、飲んだりすることで弊害があるのです。お金がかかる、人から嫌がられる、自分自身も面倒臭い、実際に健康状態に支障が出始めているなど、様々です。

まずたばこですが、私の場合は、精神的に情緒不安定な状態になることがよくあるタイプなのですが、何かイラっとして切り替えたいなと思った時には必ず一服と、たばこに手が伸びていました。また、愛煙家の方はだいたいパターンとして吸うタイミングを習慣として持っています。朝起きたときや、食後といった感じです。なので、外出先で食後に一服できる場所がなかったりすると、たばこのことばかり考えてしまい、落ち着きません。吸いたいとなったら、そのことが頭から離れない、生きた心地がしないといった感じです。

お酒も同じです。毎日何時になったら飲むと決めているので、その時間になっても飲むことができないような状態になると、早く飲みたくてそのことばかり考えてしまいます。飲む習慣が無いようなお宅に泊まりにいった際などには、それに合わせて飲まないでいると早く帰りたいな、というようなことばかり考えていました。飲めないということも辛いのですが、飲む量を制限されたり、自分の好きに飲めないだけでもストレスなのです。

私の場合、ゆるい感じの職場だったので、仕事の定時となる就業時間を超えるとマグカップに酒を入れて飲みながら仕事をしていました。

飲めない時には、仕事が終わった瞬間、近くのコンビニで酎ハイを買って即プシュッとやります。電車に乗りながらも飲んでいました。20代の女子が酎ハイの缶を片手に、飲みながら電車に乗っている光景は結構異様なものだと思います。満員電車でもやります。取引先からの帰り道などで、飲んでいるところを見られるとまずいなという時には、飲みたいくて仕方がないので、タクシーで自宅まで飲みながら帰っていました。片道5000円、6000円くらいの距離なら、平気でタクシーに乗って飲み会です。なので、独身の頃の私は、タクシー貧乏でした。

 

ただ、妊娠中は一切たばこと酒を辞められていました。これも、おそらく悪阻がなかったら辞められていなかったのではないかと思っています。妊娠初期は悪阻で気持ち悪く、たばこと酒を摂取したい気持ちも抑えることができていました。ラッキーでした。また、たばこに関しては、吸わないことに慣れると、吸っていた感覚すら忘れてしまうものだということにこの時に気がついてはいました。この状態を続けられていればよかったのですが。お酒に関しても同様に、確かに飲むことを忘れてしまうという感覚でした。

また、出産後も一年くらいは授乳期間があるので、そのまま禁煙、断酒は続行です。この頃はノンアルコールビールを飲んでいました。これは酒気分をかなり味わえて、ノンアルコールビール中毒になっていました。無いとイライラして、切らさないようにしていました。この頃を振り返って感じるのは、ノンアルコール飲料を飲んでいるということは、いずれ飲みたい、飲める時には飲むつもりだというモチベーションです。なので、現在はノンアルコールビールすら摂取するのが怖いです。酒の味を思い出してしまいそうなので。

実は私は、授乳期をすぎてその後、再びたばこと酒に溺れます。

その話はまた次回。

自分に余裕が出てきたら、子供の教育に興味が湧いてきた

私はつい最近まで、娘の将来に不安しかなかった。自分に自信がないので、人間を育てることにももちろん自信がない。

ここ最近、新型コロナの感染対策で、夫が時差出勤をしている。そのため夫が夕方以後には家にいて、娘と過ごす時間が大変増えた。

そうして改めて実感するのは夫の子供への関わり方は良いなと思う。

今に始まったことではないのかもしれない。夫はもともと空いている時間の全てを娘に全力で注いでいたと思う。

私が最近ようやく娘のことが見えてきて、

「小さくて可愛い時期は貴重なのに、もったいなかった。こんこん(夫)はずっと可愛いなと思いながら、子こひがしを見てきたんだね」

というようなことを言うと

「今が一番可愛いときだよ。良かったね。」

と言われた。

私は、自分が子育てにおいてとても良い大人として関われている自信がない。

しかし夫は娘の良き理解者で良い協力者となってくれると信じている。

そう考えるともうひとりくらい子供が欲しいとまた衝動が湧き起こる。

これは実験みたいな感覚で、いろんなタイプの人間がどう育っていくかを楽しみに見守れそうだという気持ちになってきたのだ。

身近で人の人生を見られるというのはすごい経験なのではないか、というように考えられる余裕が出てきた。

子供の人格形成において、教育する親は夫がいれば安心としよう。

さて、その他にはお金のことが一つ気がかりだ。

私は、自分の精神の不安定さなどの問題で手一杯の時や、お酒のことを考えている時には、子育てには喜びなどあるのだろうかと思っていた。

しかし、今自分の問題から手離れでき始めると暇なのだろう。子供の人生に興味が湧いてきたし、子育ては楽しそうだと思うようになってきた。不安で仕方なかった子供の成長に、楽観視できる余裕が生まれたのだ。

そのせいか、いわゆる教育ママ的な方の言葉もよく耳に入ってくるようになる。それも、幼児期から英語に触れさせている子供の親の話、中学校から海外に留学させている話、ハーバードに子供を入れた親たちの教育法など。今まではちょっと冷めた目ですら見ていたこれらの話が、やたらと耳に入る。

そして自分とはなんか違うな、というかお金持ちだからできること、と無理だと思うほど気になるから嫌なものだ。

今はお金の不安が常につきまとっているけれど、経済的な余裕が生まれたら、逆にお金などどうでもよくなるのだろうか。いちいち考えなくても済むほど、お金に対して余裕を持てるのだろうか。

現状であれば、我が家は子供を普通に日本の小中高へ通わせ、大学に行かせるだけでも将来に向けて計画的に貯蓄したり、資産運用して行かなければ難しい。

子供にはできればたくさんの選択肢を与えたいと思う。収入が増え、単純に固定費なども増えずに経済的に余裕がでにれば、子供が留学したい、習い事をしたい、希望の学校へ行きたいなど何かしら教育にお金がかかることを言ったとしても答えられるかもしれない。

また、前もってビクビクせずに子供に様々な選択肢を見せることができるかもしれない。

しかし、あえてお金のかかるような教育環境を当然用意して与えてやることにはさほど意味がないように思える。当たり前ではなく、自分で考え、選び抜いて生きているのだと思わせたい。

そうこう考えていると本当に子供の可能性は無限大なのだなと思う。

このようにあれこれと思案しながら、子供の無限大の可能性に思いを馳せることこそ、教育が楽しいという感覚なのだろうか。

断酒したことを褒められると複雑な気持ちになる

断酒したことについてたびたび褒められることがある。

酒をやめられるなんて意志が強いと。

しかし、意志が強かったらやめなければならないほど酒に溺れたりしないわけで、辞めようと決意なんてするほどの支障も出ないのだ。

酒をやめたことで自分にとってメリットは非常に多かあったとは思う。

保育園に酔っ払ってお迎えに行かなくて済むし、出費も減る。酔っ払って起こした醜態についていろいろと悩まなくて良いし、寝覚が良い。身体の調子もおそらく良い。

しかし必要以上に褒められるとやはり私に何を期待しているのだという気持ちが湧いてくる。

特に夫の態度は変わったと思う。これが気になる。

夫は私が酒をやめたことで私の能力に少し期待をするようになったのだと思う。話をしたら忘れず、響くようになったというようなことを言っている。

常に酔っ払った人というのは社会的にもマイナスのイメージが強いだろうし、私自身、酒を控えられないことには罪悪感があった。特に子育てにおいては何かイメージする母親像との乖離を感じて悩んでいた。それは酒のせいだけではないのだけど。

夫も私が普通の健全な妻に近づくとやはり嬉しいのだなと思った。私は断酒を足枷に感じている。酒を辞めたことで、どんどん私らしさを失っていくような気にもなるし、何も変わっていないとも言える。だから人には大騒ぎしないでもらいたい。

友人からも、私が酒をやめたことを褒められた。以前から私に酒を止めることを勧めていた友人だ。彼女はもともと全然飲まない。

私の娘の様子が、断酒前とは違うということを言われた。酒を辞めたことで何らか娘にも良い影響があったのではないかというのだ。

私も自身子育てにおいて断酒が良かったと思う点はもちろんある。

しかし、娘の行動や機嫌を見ているだけで私の断酒が子供の発育にも良い影響が出ていると言うのは言い過ぎではないかと思った。

ここ最近、新型コロナ対策で夫が時差出勤をしているため、夫と私と娘の3人で夕方以降に過ごせる時間が増えている。

それも娘にとっては生活の良い変化だと思う。

これらいろんな要因が重なって、確かに今は良い状態かもしれない。

良い状況を良いねと言ってもらったのだから、素直に喜べばいいではないか。

しかしながら、私は自分で自分が怖いのだ。

酒をやめたからって、本当に私が安穏な生活を手に入れることなどできるのだろうか。

だって10代の私は酒を常用していなかった。それなのに情緒不安定だった。

今は酒を辞めたばかりの断酒ハイ状態なだけだ。

この目新しさから抜けたときに、さて次は何に溺れればいいのだろうと考えてしまう。

自分の思ったことをできるだけ思った通りに書けば文章を書くことは楽しいのか

文章を書くことが多く、仕事にもしているのですが、大変時間がかかってしまうことが悩みです。例えば、だいたい3000字くらいの下調べが必要な記事を書くのに、1週間、トータル12時間くらい費やしています。別に何時間かかっても良いのですが、多額のギャラをいただいているわけではなく、時給計算にしてしまうと最低時給は余裕で割ります。そんなことを考えるとモヤモヤはします。

クライアントに感謝されると嬉しいのですが、それまでの産み出す作業がとてつもなく大変に感じます。

それなのに書きたいと思ってしまうので不思議です。

どうして時間がかかってしまうのか

時間がかかってしまう理由は以下だと思います。

  • まず作業に手をつけるのに時間がかかる
  • ネタや下調べに熟考しすぎて書き出せない、または情報を盛り込もうとしすぎ
  • データなど転載に近いものでも、正確に要約しなければとビビって思い切って書けない
  • 何度も推敲に手を加えるうちに余計なミスが発生して修正に手間取る
  • 内容より、自分なりの言い回しや表現に酔って、気に入らないと終わらない

少しでも効率アップするには

少しでも楽に作業に取り組むために、改善策を考えようと思います。しかし、確固たるやり方を決めてしまってもまたよくないと思うのです。臨機応変さがないからこそ、文脈がおかしくなったりすると全て手直ししてしまったりして時間がかかるようなこだわり屋さんです。なので、できるだけ少なく、ルールを決めておこうと思います。

  • 仮のタイトルをつけ、結論を想像しておく。あくまで(仮)
  • 締め切りを必ず確認
  • 下調べ、執筆時間など自分なりに細かい時間の締め切りをつくる
  • 構成からつくる
  • できれば上記までの時点で一度クライアント確認の機会を儲ける

良くも悪くも100点を目指して書こうとする

何かを制作する時、私の場合は大抵上記のような時間や負担の問題に当ります。人に指摘されたことがあります。「あなたは100点を目指しているんだね」「完璧主義なんだね」と。え!? まさか、全然できない自分が完璧主義、100点目指しているなんてとんでもない。ただ、考えてみるとそういうことなんだと思います。自分のリソースを超えない適当な範囲で完成品を提供することができていれば悩まないのでしょう。確かに私は何か作業に取り組む際、これには最適解があるはずだ!完成品はこれ!と想像通りの素晴らしいものが出来上がることをイメージして制作に取り組んでいるように思います。しかし、力量は追いつかず、いつも何らか悩んでいたり、リソースを使い切ってヘトヘトになって疲れてしまうのです。しかし、どんなことにもこのこだわりが発揮されるわけではありません。こだわりたいということは、ある程度興味がある作業だということなのでしょう。

自分の思ったことをできるだけ思った通りに書けば文章を書くことは楽しいのではないかという期待

それでは自分の思いをそのまま書くブログはどうかというと、こちらもやはり時間がかかっています。2時間程度で書くことができれば早い方だなと思っています。私はブログにおいては文章を書くことを自由に楽しみながら、好きでやっていける趣味のようにしたいと思っていました。しかし、そもそも時間を意識している時点で、楽しんでいるのか? と疑問に思う時もあります。自分の思ったことをただ書いていけば良いだけなのですが、ついついこだわりが出てしまうのでしょう。

仕事で書いている時と、プライベートでブログを書いている時、どちらが幸せなのでしょう。

仕事のように、人にも伝わるような論理的な骨組みと結論を用いて書く文章は、人に読んでもらい、達成感や反響が得られる点で喜びも得られます。人に認められる嬉しさだと思います。

一方、自分でブログを書いたりするときには、いかに自分が本心をさらけ出し、記録していけるかということを考えています。読み返すこともなく、ただ蓄積されていくというイメージです。ただただ書くことに没頭し、楽しみたいと思っていました。しかし、まぁ楽しくて仕方がないというほどでもありません。それでも書き上げると何か達成感みたいなものが湧いてくるので、やはりどこかで誰かが読んでくれているという人の目を意識しているのだろうと思います。結局文章を書き上げる喜びが同じところへ行き着きます。

思ったことを思ったように書いて、日記のように綴っていけたら気持ちよく、また時間も浪費したなどと考えずに幸せな執筆ライフをおくれるのでしょうか。

結局そのように文章を書くことができたとして、それはあえて文章にする意味もないということなのかもしれません。

断る勇気

日頃利用しているあるサービスがある。昨日、そのサービスのテレビ取材を受けた。今までにも数回受けたことがあり、いつもそのサービスのありがたさを感じていることからその気持ちをありのまま伝えたいという思いがあり協力している。

しかし、取材が終わっていつも感じるのはとんでもないストレスだ。取材時間もかなり長時間になることもあり、数回協力しているうちに、今度こそは断ろう。もうさすがに取材に来ないだろうと思うのだが。声がかかると二つ返事で受けてしまう。

 

何故ストレスに感じるのかというと、やはり長時間知らない人達と時間を共にするということもある。だいたい取材は自宅で行われるが、なにかと気も使う。

そしてたいてい、私が話したいと思っているそのサービスへの熱い思いを語ると、結構サラッと受け流される。反応が悪い。そして、「もっとこういう内容のことないですかね?」

とまぁ思っていることだがあえて言葉にするとなんかチープだと感じるような内容を語らせたがる。

場合によっては結構触れられたくないようなことも聞いてくる。別に話してもよいのだが、家庭のことについてや自分が子育てをするうえでの困っている話など、どこか型にはめられていくようで気持ちが悪い。またどこか型にはまって話を合わせてしまう自分がいてまた気持ちが悪い。

 

昨日は本当に疲れ、取材が終わってひとりになり、何故か涙が溢れてきた。

疲れていたのか、ただのストレス発散なのか。取材を受けている間に溜まってしまった仕事への焦りか。

家庭や日頃の私の生活に深く関わる内容なので、さらけ出したことへの後悔なのか。

 

断れないことは他にもある。友達との約束はその代表的なものだ。断れないというか、誘われたら断らないのだ。

そのせいで私はほとんど自分優先のスケジュールがなくなると感じる。

しかし、負担だと感じたり、難しい要求にはやはり断らなければいけないのだと思う。

嫌ならはじめから爽やかに断っておいたほうが誠意があるように感じる。

私は断ったときにどこか気まずい気持ちになってしまったり、相手から嫌われないかということを過剰に気にしている。私は断らないことで私なりに良い格好をしているのだけど、それで自分がこっそり嫌な気持ちを抱えているというのは相手に対しても不誠実にも感じる。

無意識にこのような行動をとるようになってしまったのにはきっかけがある。

 

小・中学生のころ、度々同級生数人から「こひがしって言い方がきつい」「こひがし嫌い」と面と向かって言われたことがある。それも一度仲良くなってしばらくしてから思いがけず放たれる言葉だ。こうした際には私も思い当たることがある。確かに私には、自分がこうと思うと、友人であろうが関わりなく、思っていることを通そうとする傾向があった。これには良い面もあるのだが、例えば学校行事などで、熱い思いを持って仕切るために、普段中の良い友人にも「きちんとやってくれ」という旨を容赦無く指示する。いかんせん伝え方が悪かったのだと思う。

小さいながらにこのままではいかんなと考え、柔和で、適度にいい加減な部分も身につけようと考えた。

このように矯正した性格が特に友人の前では板についてしまい、元の主張する性格がなりをひそめた。しかしここ数年は、子育てや仕事の不全感から、本来の自分の一方的な思いを押し通そうとする性質が出ているなと感じるところもある。

いずれにしろ極端なのだろう。

 

 

やはり自分の感情に正直でいること、嫌だと思った時には断れることは大切だと思う。私の場合、嫌だな、ストレスだなと思うことが発露を失い鬱積していると、これを夫に出してしまうという間違った対処をしてしまうことがある。

なので、適切な相手に断ることで、夫への理不尽な八つ当たりがなくなる。さらに爽やかに断ることができる私を見て育つ娘に、嫌だと思ったら断って良いという教育をすることができるのだ。頑張ろう。

どんな仕事を苦手と感じるのか、またどんな仕事をしたいのか

最近、電話での対応が必要な仕事を請け負っています。それにはいわゆるカスタマーセンター的な業務に近いストレスがあり、あまり好きではない仕事の種類かもしれないと思い始めています。なぜ電話対応の仕事が苦手なのか、どんな仕事が得意なのか、また向いていると感じているのか考えてみました。

なぜ電話対応の仕事が好きではないと感じたのか

電話対応の仕事は、発注先のお客さんや取引先、アウトソーシング先からの問い合わせなどに対応することがしばしばあります。慣れないうちは緊張して当たり前、そのうち慣れると考えていました。しかし、仕事を続けるごとに、電話の鳴る着信音に若干の恐怖を覚えるようになりました。

電話への恐怖の理由は、

  • 電話を受ける際、こちらには準備する暇がなく、電話に出た瞬間から相手を受け入れねければならない心的ストレス
  • クレームなど、圧迫を感じるような相手からの電話を相手しなければいけない
  • そもそも私は、電話の内容を聞き取るのが苦手

これらの問題に対応するため、まずは悩みを発注先に相談してみることにしました。

そこで発注先の担当者の方は大変親切に対応くださり、以下のような対策を一緒に考えてくださいました。

  • 顧客情報や取引先リストを一箇所にまとめ、着信時のこちらのアクションを減らす。こうして焦りを減らす。
  • 困ったときには発注先の担当者に対応を委ねる。背後には責任を取ってくれる人がいるのだという安心感を確保。
  • 電話相手が話す内容のうち、時間や数字など、特に事実項目を聞き逃さないよう先にメモする。状況の確認、復唱をする。

このような対策を講じることで日々業務改善に取り組むことにしています。

これをきっかけに、苦手な仕事の状況を考えてみた

上記のような電話対応のほかにも、仕事でストレスに感じるような状況を考えてみました。まずはじめに頭に浮かんだのが、長期スパンのプロジェクトです。

特に、締め切りが数ヶ月先にあるようなものになると、それが終わるまで数ヶ月、胸の支えが降りないという状況になります。また、早く手離れしたいのに、手をつけるのは遅いため、締め切りギリギリまで悪戦苦闘します。焦りから、一緒にプロジェクトをするメンバーやクライアントに早く情報をよこせと何度も何度もせっついたりもします。私自身メンタルが強ければいいのですが、その度相手の反応に一喜一憂してしまい、またこれがストレスとなります。これについては、できる範囲でスケジュールを細分化し、細かく締め切りを作ったりして緊張を緩和するタイミングを持てるようにしています。

最近考えるのは、そもそも締め切りなどない仕事があったらいいのに。なんでことです。

好きか嫌いかはわからないが意外と得意なのではないか、または褒められると感じること

  • ライターの仕事、文章を書くこと

上記の電話対応の仕事とは別に、現在ライターの仕事をしています。これも締め切りに左右されますし、対人から情報を引き出さなければならないことも多く、ストレスも当然あります。しかし、比較的自分でじっくり取り組めること、そこまで急を要した案件を請け負わないようにすることで、比較的気持ちが楽にやれています。

  • 作業の正誤チェックや文章公正

自ら入力したり、制作する際にはよくミスをします。そして自分のミスを見返して誤りを見つけ出すのも苦手です。

しかし、人のミスだとわりと細かくチェックして見つけられるのです。これは、疑う気持ちと、融通の利かない性格が良い方向に働くのだと思います。どういうことかというと、例えば他人の文章のチェックを任される際には、文章に何の先入観もなくただ一文字一文字の羅列として、文字を認識できるからなのではないかと思っています。例えば、自分でミスをする場合、「指令書」(例が不自然なのはひとまず置いておいて)と入力しようとしたとします。しかし実際には「司令所」と誤って入力してしまうとします。この際、私は当然「指令書」と入力しているだろうと想像して都合よくそう見ようとするため、誤字を発見できないということが多々あります。しかし、他人の入力したものへのチェックだと、まず、疑う心が結構強いので、間違っているはずだとはなから疑ってかかりチェックします。さらに「司・令・所」と意味を考えずに一文字一文字追っていきながら、後で意味を解釈しようとするため、間違いを発見することができるのだと思います。

私自身が好きだと感じる仕事

  • ヴィジュアルを扱う仕事

色や画像の美しさなど、そのようなことを考えるのが大変面白く、苦痛と感じません。これはなぜなのかよくわからないのですが、この点に気がついたのは、新卒で入社した会社での仕事です。写真や紙面のデザインを扱うことが多くあったのですが、そのような作業に触れている時には、大変熱中して作業することができました。結局この仕事は辞めてしまうのですが。作業自体が好きでも、会社でずっと幸福に仕事し続けて行けるかどうかはまた別の話です。

本来は好きなことをやって生きていけば良い

好きなことがある程度わかっているのなら、それをし続けて生きていけば良いのではないかと思います。しかし、今現在が毎日好きな作業にまみれて生きているかというとそうではないのが不思議です。

現在は事務的な作業を請け負ったり、ライター業をしたりしています。これは苦痛ではないよう工夫はしていますが、すごく楽しくて仕方がないというものでもありません。

仕事ではありませんが、最近はブログを書くようになり、自分の思考を整理しながら、何が苦痛で何が至福であるか忘れないように記録しようと考えるようになりました。

 

以前のブログでフロー体験について触れましたが、これが理想の仕事に取り組む状態かなと思っています。その作業に没入し、ある程度自分の判断で作業でき、正誤が自分でわかる、あるいはフィードバックがすぐにある、適度な挑戦のある作業をしていると楽しいと感じるような状態です。

 

これはどんな人にも当てはまることだと思います。

そんな仕事を探していきたいと思っています。

また、そもそもこれは仕事である必要があるのか、というのもまた検討したいと思います。

ADHDが自分を知るきっかけになったし、他者を知ろうとするきっかけになった

ある人から、自分はADHDかもしれないと相談を受けたことがある。私にシンパシーを感じたのか、何か私がそのようなエピソードを話していたのかわからないが、おそらく両方かもしれない。

彼女は私と同世代で、私が利用するあるサービスを提供する会社を経営している。

相談を受けた際、私自身がADHDであるという話をして、何か実際に問題が起きているのであれば、専門の病院に行ってみるのも良いと思うということを勧めた。

その後彼女は診断を受け、ADHDであるということになった。

 

それからしばらく、度々お会いすることやLINEなどでやりとりすることがあったのだが、あるとき、私が仕事の相談をしたことがきっかけで、お仕事を発注してくれることになった。

なので、今はその彼女が代表を務める会社から、仕事をいただいている。

その会社で仕事するようになり、彼女がADHDだと知っての私の先入観からか、私は彼女の言動に日々触れる中で、まるで客観的に自分を見ているようでとても勉強になるということに気がついた。

 

例えば、日常業務はオンラインのチャットツール、slackでやりとりをしているのだけど、メッセージのやり取りの中には、あれと思うようなことが度々ある。私との会話や、別のメンバーとの会話を第三者として傍観している際にもある。

その違和感とは、主語がない、メッセージした目的がわからない、指示内容がわからない、などの内容が不完全なメッセージが多かったりすることだ。

そのようなメッセージのやり取りをしていく中で、私は、わかるわかる! ここで冷静に文章を推敲するより、パッと浮かんだ考えを次の瞬間にはメッセージに流してしまうんですよね! とその行動のいきさつを想像し、勝手に大変共感してしまう。

 

また、ちょっとしたやりとりの行き違いですぐに怒ったりする。正確には、文面から、イラっと感が伝わる。そこでも私は、まぁまぁ、そこは落ち着いて。と大変気持ちがわかる。

 

さらに、ある日、mtgを控えた当日。日頃は基本出社の義務は無いような働き方をしている様子なのだが、この日は対面での会議を予定していたのだ。

彼女から「たけし」が風邪にかかり、自分も感染していたら困るし、社内のメンバーに感染しても困るので出社をどうしよう。といった内容がslackに共有された。こんな時だから、新型コロナの心配もある。といった内容。「たけし」はおそらくパートナーの名前だろうと私は推察した。今回は主語があった。

自分の私生活の問題も変に気を使うことなく、率直に相談できるし、困っている今の気持ちをオブラートに包むことなくそのとおりに伝えることができるのだ。

 

一般的な企業ではあまり見られないような人種かもしれないが、この行動を見ていて大変納得できる部分がある。自分がADHDと診断を受ける前は、はたしてこのような言動に理解のある見方をできていただろうか。

おそらく私は、なんか変な人として遠ざけていたのかもしれない。

また、彼女の特徴としては、自分のそのちょっとユニークな面を恥ずかしいとか隠そうとかあまり考えていないように感じる。

そのためか、それが魅力となり、メンバーからもかなり愛されていると思う。ともするとちょっとワンマンなところもあるが、そこは親しいメンバーに囲まれ、上下はさほど感じられないし、無理強いはしない文化のようだ。

不思議とそんな彼女には、苦手な面をよく理解し、サポートしてくれる良き参謀役もいる。良き理解者をよくぞ見つけるなと感じる。

私には、勝手に考えている人前で見せてはいけない自分の恥ずかしい部分というものがある。

以前の私であれば、これら恥ずかしい自分をさらけ出し、なるべくストレスのないよう、ありのままに振る舞う彼女が妬ましく、それが転じて疎ましく思ったかもしれない。

 

なぜ私は変わったのかと考えると、診断を受けたことで変な言い方だけど、自分の特徴をよく理解できたと思う。自分で認めることができなかった短所も含めて。

 

クリニックを訪れた最初の日、先生が私に言った。

「あなたは自分がどんな人間かわかっていない。『あなたどんな人間ですか? 』いう私の問いに、あなたは『ふうつの人間です』といいましたね。しかし、それは私の質問に答えたことになっていなくて、『怒りっぽい』とか『愉快な人間です』とかなんでも良いのですが、特徴を問う質問だったのです。あなたは自分の特徴をわかっていないので、『ふつうの人間』というしかなかったのでしょう。」また続けて、

「自分をわからないから、他者が自分と違うということもわからない」と。

 

前述の女性経営者に学ぶところは本当に多い。

自分の苦手なことや、変だと思われる性格を無理に抑えようなどとは思っていない。私の勝手な見方だけど、むしろ、自分のやりたいことに正直に生きているように感じられる。

 

私は、ADHDとはこうであるという、一定のパターンについてADHDの話をしたいのではない。

むしろ勝手な自分の落とし所だが、どんな人にでもいろんな性格や特徴があって、それはADHDの一人一人にも同じことが言える。

ただ、その中でADHDなどの発達障害や、もっというと障害と言われる人は、社会のこれでは生きにくいという特徴を医学的にラベリングされたということだと思っている。

その場合、例えば一般的に言われる長所、短所みたいな項目のより濃度を濃くしたようなことが、ADHDの困ったと言われる項目に当てはまるんじゃないかと思っている。

 

そこでなんの話かというと、自分がADHDと診断されるまでは、「ふつうの人」と表現した私が、普通ではなくなった途端、私は自分の長所や短所(便宜上この言葉を使う)を自覚することがやっとできたし、自分を自覚するということで、人の中にある自分と似たような部分を認識することができるようになった。また、人の自分と違う部分も認識できるようになった。

これってすごい進歩である。

 

私は自分をよく理解し、自分を受け入れようと考え始めたことで、人には人の色々があるのだということがよくわかった。理解し、受け止められているかはさておき。

女性活躍の文脈に、ガツガツ頑張れない女性も含まれますか?

あるニュース記事を読んでいて、世界を股にかけて活躍するようなお仕事をされながら、2人のお子さんを育てたという女性へのインタビューがあった。

日本の女性活躍の現状について、男女の役割の刷り込みについて、危惧したものだ。海外に住み、仕事をし、パートナーも北欧出身のこの女性にとって日本は異常なほど、男女の役割の刷り込みがそこらに転がっていると感じられるそうだ。日本は保守的な抵抗勢力が非常に強い国、そのため悪しき文化が社会に根深く残っているのだと言っていた。

続けて彼女の話は、日本の企業のトップや政界など、指導的地位に女性がいかに少ないかという話に続く。大学医学部の入試の男女差別の問題においても言及し、優秀な女性をあえて登用せずにいる日本では、組織や自国の利益を損なっているにも関わらず、このような現状を維持しようとする。なんて愚かなのかという話だ。さらに、女性は諦めずにどんどん努力し、チャレンジングに未来を切り開くべきだとエールを送っていた。

これは本当におっしゃる通りという反面、そこで私が感じた違和感がある。

私はそんな優秀ではないし、自信を持って張り合えるスキルもないければ、さほど努力もしていない。「あ、これは私の話ではないな」と。

 

また、最近子育てに興味が湧き、活動をチェックしているワーママブロガーがいるのだが、彼女の発言にもやや置いてけぼり感を感じる時がある。

ある日の話題、彼女の知人で出産を期に退職し、子育てがひと段落ついたところで再就職に成功した方2名のケースを紹介していた。それも知人の一人は、8年ほどもブランクがある中で、再就職に成功したということにこのままブロガー自身感心していた。そこで、このような状況を手に入れることができた方法はというと、知人2人のいずれも縁故による再就職なのだという。元上司だったり、元同僚だったりが、当時の彼女たちの優秀さを知っていて、数年のブランクがありながらも彼女たちのポテンシャルで採用したという内容だ。さらに頑張っていれば見ていてくれる人がいるといった話をしていた。

社会で上手くやれていないという自覚がある私とって、この話にも何か居心地の悪さを感じてしまった。

 

前述の世界で活躍する女性の話に戻るが、確かに優秀な人たちが報われないのだから、それでは男女問わず国全体の不利益であるという論は非常に説得力がある。

大学医学部入試の男女差別問題に関してなどは、成績などデータにもとずく事実がありながら、女性と比べて成績の振るわなかった男子学生に下駄をはかせたというのだから、医学生のひいては医療のレベルだって損なわれかねない。こうなると全国民の不利益だ。

また、大企業や政界など指導的地位の男女格差についてが代表例として語られることについても、象徴的事例であるし、毎日メディアにさらされている情報として、男女役割の刷り込みにも大いに影響している。また、このようなピラミッドのトップの男女構成が変われば、日本全体に影響力があるため、まずは頂点の話がされるということも理解できる。

 

しかし、同時に、こんなに優秀な人たちにおける男女の役割だって乗り越えられていないのだから、ガツガツ努力したり、優秀さをアピールできない女性達になど、活躍の場などないのではないか、と考えてしまう。

人は皆それぞれに得手不得手があるけれど、仕事や学業などで、優秀と語られる時、それは人のある一部分においての優秀さの話であり、こうしてある一定の人が社会で活躍するものだ。

本当に人には様々な能力があって、それはただの女であること、女であって小さな子どもの育児中であること、出産を控えていることなどもその人を成す一要素だ。これももちろんその人の特徴というか経験、長所に結びつくことがある。

 

どうしてか、前述の2つの話が子どもを産んだら、女性に生まれたら、努力しなければ活躍できません、のぞみの仕事にはつけません。と言われているように感じてしまうのは私だけだろうか。優秀な女子についてのエールが、私へのエールではないのだなと感じてしまうのは私だけだろうか。

子どもは親になにを言ってもいい

少し前、個人が配信するラジオアプリで、性教育についてふれられていました。そこで印象に残ったのが、小さな子どもへの性犯罪のお話。子どもが体を触られるなどの性的被害にあった場合、それに気がつかなかったり、恥ずかしいと感じて言えなかったりすることがあるという内容でした。その内容自体も興味深く、日頃から子どもは親に何を言っても良い、親に言って恥ずかしいことなどないと理解させ、あれ? おかしいなと思ったことがあれば、親に報告できるようにしておくことが大切なのだと感じたものでした。

そこでふと、私は母になんでも言えた関係だっただろうか。いや、性犯罪に巻き込まれるようなことがあった場合、相談なんてできなかっただろうと思ったのです。

 

そんな具合に、母との関係を見つめ直すようになったのはここ半年くらいのことです。

母との関係を考え始めるきっかけ

以前のブログにも書きましたが、私は子育ての難しさや夫への暴力モラハラに悩み(私が暴力やモラハラを行うのですから、悩むのなら暴力やモラハラをしなければいいのですが、どうにも制御できなかったのです...)、通院を開始。ADHDの傾向や双極性障害の診断を受け、生き方の工夫を試みることになりました。

当初、夫へのDVや育児が辛いことなどは、ひとつひとつがバラバラの事象として困っていました。何か私の中に全ての根となる原因があり、私自身が解決できるものだとは考えていませんでした。自分自身の問題だと捉え、改善しようという気持ちもなく、問題を抱える自分を甘やかし、どこか開き直っていました。

それを考え直すきっかけとなったのが、田房永子さんのコミックエッセイ『キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜』です。「女性のDV」「書籍」などのキーワードで検索して行きついたのだと記憶しています。著書自身の日常が綴られているのですが、自分とそっくりで驚きました。夫を責める、時には殴る...。著者は問題に感じたことを自分なりに解決していくのですが、そこで母との歪んだ親子関係が示唆されています。私はこれを読むまでは、DVやモラハラ、育児が、その個別の事象とは直接繋がらない、自分自身の問題を見つめ直すことで解決するとは、心からは思えていませんでした。夫婦双方の問題であったり、仕事と育児の両立の難しさ、社会からの疎外感など、様々な外的要因によるものだ、などと色々言い訳がありました。

しかし、本を読み客観的に自分を見つめます。自分に問題があるのかもしれない、しかも私の周りでおこる不満の数々は、私自身が作り出しているものなのかもしれないと、新たな視点が生まれてきました。

母との関係は正直良好だと思っていました。仲良し親子だろうくらいに。離れた実家の母からは、毎日のように電話がかかってきますし、いざという時には私も相談の電話をついついしてしまいます。

ただ、私が本当に話したいことや言いたいこと、聞きたくないことを、母に言えているかと考えると、「忙しいから電話切っていい?」 ということすらできません。

『キレる私をやめたい〜夫をグーで殴る妻をやめるまで〜』を読んでからというもの、母との関係について、どこかで引っ掛かりを感じていました。また治療など、状況を把握するためにも、自分について知ろうと思うようになりました。

発達障害に気がつかない母親たち』(星野仁彦 著)も大変参考になった書籍です。この本で特に私が感じたのは、特に私が傷つきやすかった可能性もあるし、母にとっても子育ては大変だったということ。そして今からでも私は私の生き方を見つめ直すことができるのだということです。

『毒になる親 一生苦しむ子ども』(スーザン・フォワード 著)も、いわゆる "毒親" なる親の元で、過酷な環境下で子ども時代を過ごしたことにより、大人になっても課題を抱えてその呪縛から逃れられない人がいるといった内容の本です。しかし、これにもまた、どこからでも自分の人生を取り戻すことができるという内容と、その手法が書かれていました。

方法としては、母との関係見直すということになりますが、私にとっては新しく手に入れた視点がとても重要だと感じています。夫や環境のせいで私お凝らされているのではなく、今の今まで私を作った私の固定概念やバックグラウンドが、そのような怒りを生んでいるのだ、つまり私の問題なのだという視点です。これは、そう考えることで、私の問題である部分に少しでもアプローチできるということで、状況が改善する可能性があるということだと感じました。

母を傷つけることは言ってはいけないと思っていた

私の母は、暴力を振るうわけではありませんし、ネグレクトなどをする子どもに無関心な親でもありません。反対に過干渉すぎるというほどでもないかと思います。なので、母のことはそれなりに好きです。しかし私は、もともと傷つきやすく、繊細な性格であり、感受性も豊かすぎたと言えるでしょう。なので、親の言動のあらゆることに大きく影響を受けすぎてしまった可能性があると思います。

私は、母が怒りそうな事や、傷つきそうなことは言わないようにしてきました。そのために、自分のありのままの振る舞いには、いくつか母に好まれない点があると考え、これを見せてはいけないと考えていました。知らず知らず、我慢が蓄積していったと思います。

前述の通り、それほど非道な親だったわけではないのですが、いくつか記憶している、これは嫌だったなと思うことがあります。

  1. 毎日のように、母の知人や仕事の愚痴を聞かされる
  2. 私の友人について、あの子は常識がないなどと言う
  3. 小さな私をからかうようなことが行きすぎて、どんくさいことを茶化す
  4. 泣くなど手がつけられない感情に対して、「泣くな、いつまで泣いているの」「泣き止みなさい」などと急かす

1.母の愚痴を聞いていると、母が良くないとする性格や行動が暗にわかるようになります。母が言ったことがモラルの全てである幼少期、この裏を返し、母が嫌がっているのだから、このような行動をとる人間とは悪である、私の中にあるこのような悪い行動や思いは正さねばならない、見せてはならないと考えます。

2.母が負のイメージを口にした友人、この子とは遊ばないようにしよう、もしくはこっそり遊ぼうと思います。しかし、ちょっとだけ嫌〜な気持ちが心に燻ります。

3.人にバカにされるこのような振る舞いは改善しようと考えます。同時に、ある特定の行動をとるどんくさい人は、馬鹿にして良いということになります。

4.涙は抑えようとすればするほど溢れてきて、泣きそうになるのをコントロールすることはなかなか難しく、泣くたび情けない気持ちになります。

 

私はこれらの母に好かれる基準のルールを実は今もどこかに抱えています。しかし、本当は違うよな、嫌だなと感じるようにもなっているのです。その気持ちを徐々に出すことにしました。

特に1.に関してですが、あるときの電話で、母が親戚の愚痴を語り出しました。共通の知り合いですし、これは母の一方的な意見だな、という思いもあり、聞いているのが苦痛になりました。

良い機会だと思い、あまり人の悪口を聞かされたくない。という旨を思い切って伝えました。電話でそのままは言い出しにくかったので、電話を切った後、LINEで伝えました。

すると意外にもとても真摯に

「それは本当に申し訳なかった」と返信がありました。気持ちが穏やかになる反面、なんだか母がかわいそうにも感じました。ここからは私の問題なのですが、嫌なことを伝えることができないと、私が嫌な思いを抱えます。その後、私の場合、娘や夫に当たってしまうことが考えられるため、これはとるべき行動だったと覚悟を決めることにしました。

散々母からの影響を語っているくせに、父の影響について言及しないのは不自然なのですが、父は仕事ばかりしているような人で、共働きにも関わらず、母に比べ私との接触が圧倒的に少なかったと記憶しています。このような事実だけでも、両親の家庭内での役割の不平等さを私に見せつけてきた父は、間違った教育をしてきたと言えます。また、父のしつけには昔ながらの問題のあるものもいくつかありました。大声で怒鳴って小さな子どもに言うことを聞かせようとする、駄々をこねるようなら、押入れに閉じ込める、お尻をたたくなどの罰を与える。というように、本当に昔ながらの父です。しかし、これが直接私のトラウマになったというよりは、その際、やはり優しく助けてくれるような人がいて欲しかったと思うのです。それもやはり求めていたのは母ということになってしまうのです。

子どもは親になにを言ってもいい

親になんでも相談できたりはせず、思ったこともなんでもは口にできず、自分のある面しか見せることができないと考えている私は、結構厄介な人間でした。

日頃隠している自分が出てしまわないかいい子ぶっています。どうしてもいい子になれず、素が出てしまう時には必要以上に動揺したり、腹を立てたりします。時には嘘を着くので、親にバレないかビクビクしています。

私は10代の半ばにはタバコを吸い出し(これは結局バレるのですが)、後にはお酒にもかなり依存し、10代の頃から性にも割と奔放でした。身体や心が傷つく可能性のあることもしますし、異性関係のトラブルも多くありました。それらは基本的には親に知られたくないことです。まずそのようなことに身を投じてしまうことにも今であれば問題を感じます。

そう、本当に困った時には親に相談できない。こういうことが実際にあるということを、私を身をもって知っています。

 

幼い頃の私はどう感じていたんだろうと今思い返すと、やはりどんな私も母に受け止めて欲しかったのだなと思います。

ずるい私も、傷つきやすい私も、困ったことをする私も。良い子の私と同じように愛して欲しかったのだなと思うのです。きっと母は本心ではそう思っていたかもしれません。しかし、今当時の母の気持ちを引き出すのは無理なことです。人の気持ちを自分の思うように操作することはできません。

なので、自分を自分が受け止めてあげるしかないのだなと思います。

私には小さな娘がいますが、どんな娘も受け止めてあげることはできているのでしょうか。わかりません。

日曜日の憂鬱

日曜日の午後6時半、娘の遊びの相手をしているのに、どうしても涙があふれて止まらない。

「どうしたの?」と心配そうに私の顔を覗き込んでくる娘。

ダメなお母さんだな、これがいつか娘の人格に負の要素として記録されてしまったら、と思うと余計涙が溢れてくる。

素直に娘に話してみる

「不安な事があって、どうしても気持ちが落ち込んでしまうの」すると娘は、

「ちょっと待っててね、ティッシュ持ってくるからね」といって、かけていった。

遠くで夫に

「こんこん(夫)、こひがしがすぐ泣いちゃうから、怒らないでね」と説明しているのが聞こえる。

「怒ってないよ」と夫の声。

 

「はい、ティッシュティッシュを一枚、娘が私に手渡してくれる。

「ありがとう」

 

夫が用意してくれた食事を3人で食べる。しばらく経っても私の気持ちは落ち着かない。気になる事が頭から離れないのだ。涙もときおり溢れてくる。夫に、

「こういうときは考えないのが一番いいと思うけど、それができないならお風呂に入るとか、どこかに行くとか、落ち着きそうなことをしてみたら」と促され、お風呂に入ってみる。

 

お風呂からあがると、気持ちが落ち着いた。夫と娘がお風呂に入っている間に、気持ちをなんとか書きだして整理してみようと思った。

 

数日前から気になって頭から離れない件。

女友達数人と予定している、友人の結婚式の余興のことだ。何が解決すれば安心できるのか、箇条書きにする。

 

また気が晴れない原因はもうひとつ、日曜の夜ということもあり、明日からの仕事のことでも、気がかりな事がある。長期の取引先だが、最近依頼を受けた仕事がどうも合わない。これについてはつい辞める辞めないで深刻に考え込んでしまうのだが、こちらも夫から

「今すぐの結論を出そうと悩まずに、まずは先方に相談してみたら? 依頼を受けた業務が上手くできず悩んでいるが、先方はそれでも発注していて助かっているのか、助け舟が出るかもしれないし」とアドバイスをもらっていた。

取引先に明日メールで相談するつもりで文面に起こしてみる。

 

そのような作業を行ううちに、「これが解決すれば大丈夫だ」と気持ちが落ち着いてくる。

 

気を取り直して、この日は娘と早めに布団に入るも、娘が寝静まったのは22:46。またイライラとしてしまった。

 

朝方4時ごろ、腹痛で目がさめる。生理だった。